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ダロウェイ夫人 ヴァージニア・ウルフ・コレクション
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 1999/05/25 |
JAN | 9784622045038 |
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ダロウェイ夫人
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
ヴァージニア・ウルフって、怖いのかな?とおもって、あまり近づかないようにしていたが、なぜだか、最近、気になっていて、代表作の一つを読んでみた。 う〜ん、やっぱ難しいな〜。とても緻密に、かつ大胆に構成されていて、さらっと読んでいると、すぐに筋がわからなくなる。 小説が、意識の流...
ヴァージニア・ウルフって、怖いのかな?とおもって、あまり近づかないようにしていたが、なぜだか、最近、気になっていて、代表作の一つを読んでみた。 う〜ん、やっぱ難しいな〜。とても緻密に、かつ大胆に構成されていて、さらっと読んでいると、すぐに筋がわからなくなる。 小説が、意識の流れにそって進んでいくのだが、それが主人公のダロウェイ夫人だけでなく、いろいろな人の意識にあまり予告なしに変わって行くのだ。 そして、その様々な人の意識を同じ時間の流れに位置付けるさまざまな出来事。 そういった同じ時のなかで生きるいろいろな人の意識と一緒に過去の思い出と今がつながる。 そして、生と死、正常と狂気が交差しつつ、統合されていく。 苦労しながら読んだが、後半は、いろいろなものが統合されていくダイナミズムに感動し、一気に読み進めた。 前評判どおり(?)、読み進めるのに苦労する作家だが、少しづつ読んでいこうかな。
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ヴァージニア・ウルフの代表作の1つ。 第一次大戦終了後の1923年6月のある日。富裕層の夫人の1日をベースに、生と死、過去と現在、正気と狂気が交錯する。 特徴的なのは、この小説が登場人物の思考を丹念に追う「意識の流れ」で構成されていることである。もちろん、主役であるダロウェイ夫人...
ヴァージニア・ウルフの代表作の1つ。 第一次大戦終了後の1923年6月のある日。富裕層の夫人の1日をベースに、生と死、過去と現在、正気と狂気が交錯する。 特徴的なのは、この小説が登場人物の思考を丹念に追う「意識の流れ」で構成されていることである。もちろん、主役であるダロウェイ夫人の「意識」が主なのだが、彼女と交わる、あるいはすれ違う人々の「意識」もまた織り込まれている。 かつての恋人ピーターや娘のエリザベスといった身近な人々も描かれるが、夫人とはあまり現実世界での接点がない、精神を病んだ元兵士のセプティマスの存在が大きい。 実のところ、およそ似たところのないこの2人が、物語の表と裏、光と影のようでもあり、正反対だが不可分のものにも見えてくる。 物語自体はさほど起伏のあるストーリーではない。 ダロウェイ夫人は上流階級の華やかな生活を送っている。夫は下院議員。夫人はその日、パーティを開く予定だ。物語は「ダロウェイ夫人は、自分で花を買ってくると言った。」で始まる。 冒頭から地の文にダロウェイ夫人の思念が混ざりこむ。その晩のパーティーのこと、過去に結婚寸前まで行った元恋人ピーターのこと、美しく育ったがどこか心が通じ合わない娘のこと、一風変わっており、夫人自身は好きになれない娘の家庭教師のこと。夫人が出かけている間にも、その思いは過去に飛び、現在に戻り、あるいは未来に向かう。 そうしてまた、ふわりと風に乗ったように、彼女がすれ違う人々へと視点は移り、彼ら彼女らの思念が丹念にたどられる。 セプティマスは不幸な男だ。富もなく、優雅な暮らしも知らない。 戦争は彼の精神を著しく傷つけ、弾丸衝撃神経症(シェル・ショック)にしてしまった。彼は妄想を見るし、人生に絶望している。傍から見ても様子がおかしい。そばには哀れな妻がいるが、彼女とて心を病んだ夫をどうしてよいのかわからないのだ。 ページ数にして250ほどだが、見た目以上のボリューム感がある。 この人物、あの人物の思念にどっぷり漬かり、何人もの人生を味わったようでもある。 何不自由ない暮らしを送っているダロウェイ夫人だが、人生の岐路で違う選択をしていたら、今の暮らしはなかったのかもしれない。彼女の歩みはどこか、危うい不安定感を醸し出す。明るい光の中、どこかに不穏な空気が宿る。 彼女は時折「もう恐れるな 夏の暑さを」(Fear no more the heat o' th' sun/ Nor the furious winter's rages;)という一節を思い浮かべる。シェイクスピア『シンベリン』中の挽歌である。この後は、「この世のわざをなし終えて、その代価を携えてたどる旅路、美しく若きものも貧しきものも最後は塵となる」(Thou thy worldly task hast done,/ Home art gone, and ta'en thy wages:/ Golden lads and girls all must,/ As chimney-sweepers, come to dust.)といった内容が続く。 これはあるいは「メメント・モリ(死を忘れるな)」の物語であるのかもしれない。 日々の一歩一歩は、ある意味、先の見えない冒険であるのだ。 選んだ道、選ばなかった道。その中で倒れるもの、先へと進むもの。 実はその違いはそれほど大きなものではないのかもしれない。 終盤近く、パーティの最中に向かいの家に住む老女を見つめるダロウェイ夫人は、死にどこか甘美な慰めを見ているようでもある。 著者自身、精神を病み、十数年後に自殺を選ぶ。 安易に重ねるべきではないのだろうが、どこか痛ましさも感じさせる。
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