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ルクセンブルクの歴史 小さな国の大きな歴史
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 刀水書房 |
発売年月日 | 1999/03/15 |
JAN | 9784887082397 |
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ルクセンブルクの歴史
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
ルクセンブルクに行く機会があったので本書を購入しました。その意味では訪問する前に本書を読んでおいたらもっと良かったと思っています。訳者も指摘しているように、そもそもルクセンブルクを日本語で紹介している本が極めて少ないので、その意味だけでも貴重な本です。まさにアマゾンならではの「ロ...
ルクセンブルクに行く機会があったので本書を購入しました。その意味では訪問する前に本書を読んでおいたらもっと良かったと思っています。訳者も指摘しているように、そもそもルクセンブルクを日本語で紹介している本が極めて少ないので、その意味だけでも貴重な本です。まさにアマゾンならではの「ロングテール」部分の書籍と言えます。 本書はルクセンブルクの歴史と言う題名の通り、10世紀頃に書かれた公式文書内ではじめてルクセンブルク(リュクシンブルフク)という文字が見つかったというようなところから始まります。前半はその意味で中世ヨーロッパの話を現ルクセンブルクにあたるエリアを中心に解説されていますが、正直なところ本書の前半は中世ヨーロッパ史の退屈な講義を聞いているような印象を受けてしまいました。これは単に私の予備知識不足かもしれませんが、馴染みのない地名、人名がたくさん出てくるので、若干読むのが疲れました。 逆に後半部分の近代ルクセンブルクの誕生(19世紀初頭)から現代までの歴史は深い感銘を受けました。本書がユニークなのは、フランスとドイツの狭間に位置していた小国から見た、2つの世界大戦(特に仏独関係)が記述されているということで、通常世界大戦の話は英米の視点あるいは仏、独の視点で描かれることが大半だと思うのですが、この2大国の間に位置していて、間近に対戦を目撃していた第三者の立場からの描写は極めて貴重かつリアリティに富んだものでした。そしてここまで独立国家として生き抜いた様は多分に幸運にも恵まれたとはいえ、ルクセンブルク人の母国に対する強い思いを実感し、このような感覚は日本人よりも相当強いのだろうなと感銘を受けました。前半部分に退屈してしまったので☆4つですが、おすすめです。
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※このレビューにはネタバレを含みます
訳者のあとがきにかかれている、「この国の本格的な歴史書の翻訳を試みているが、始めてみてその波乱万丈のおもしろさにびっくりした。とにかく、中世の伯爵領でしかなかった小さな国土が、歴史の激流に何度も呑みこまれかけては、その都度予期せぬ幸運に救われて、面積的にはますます痩せ細りつつも、今日の大公国=大公爵領として繁栄する姿にまで生き延びてきた、そのありのままの史実が誇張でなくまことにスリリングなのである。」というのが、この本の読後の感想そのままです。
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「ネーデルラントの諸州は、同君連合の関係にあった。・・・。歴代の君主は、支配下の諸公国をできるだけ一つにまとめ、中央集権的に支配しようと試みた。これは、自明のことながら、各州の伝統と衝突した。・・・。歴代君主は諸州の画一化に努めたが、大して成功せず、アンシャン・レジーム特有の雑多...
「ネーデルラントの諸州は、同君連合の関係にあった。・・・。歴代の君主は、支配下の諸公国をできるだけ一つにまとめ、中央集権的に支配しようと試みた。これは、自明のことながら、各州の伝統と衝突した。・・・。歴代君主は諸州の画一化に努めたが、大して成功せず、アンシャン・レジーム特有の雑多さを払拭できずにいた。」(p.50/51)アメリカは各国の画一化に努めているが、雑多さを払拭できずにいる。その現状とよく似ている。では、世界はアメリカ合衆国大統領を君主とする同君連合になりつつあるのか? 「司祭たちは、ルクセンブルク公爵を通さず、直接皇帝に由来する自主的な身分を要求した。」(p.53)独立を要求している民族は、現存支配国家を通さず、直接国連加盟に由来する自主的な身分を要求している。では、国連加盟は皇帝勅許に等しいのか?国連が帝国なのか? 「アンシャン・レジーム末期のネーデルラントでは、あらゆる矛盾が露呈していた。行政機構と社会の双方の近代化を目指すヨーゼフ二世の改革計画は、貴族や聖職者の特権だけでなく、職人の親方のような第三階級の利害とも衝突した。ヨーゼフ二世の寛容令に対する国民の抵抗は、近代化の拒否であった。」(p.54)WTOに対する世界人民の抵抗は近代化の拒否である。世界行政機構と世界社会の双方の近代化を目指すアメリカの改革計画は、各国支配層や知識人階級の特権だけでなく、労働組合のような勤労者階級の利害とも衝突している。しかし「改革計画」は悪か? 「制度というほどの大それた外観は持ち合わせないが、運営の手続きはつねに実情に適合され、日々の必要に応えている。UEBL(ベルギー・ルクセンブルク経済同盟:角田注)の機構は超軽量で、本部も、したがって事務所も存在せず、また、専従の職員もいない。」(p.187)一般的な組織がすぐに事務所と専従職員をおきたがるのと対象的である。 「この10万足らずの首都は、現在住民の半分が外国人という、ヨーロッパでもっともコスモポリタンな文化を持つ都会の一つであるが、それは、この1952年のECSC仮本部の設置の歴史的決定と、その後の継続的発展の成果である。 「1960〜70年代になると、ここに国際金融市場が誕生し、この小都市のユニークな開放性は強化される。」(p.199)関西を東アジアで最もコスモポリタンな地方にせねばならぬ。 「ヨーロッパ統合へのこの国の関与は、最初、他の国々の場合と同様、国益中心主義であり、それは当時としてまったく正当であった。しかし、現在、この国の姿勢が依然としてその域をでていないと見るのは誤りである。ルクセンブルクの政治家も外交官も、もはや単なる一国のレベルを超えて、ヨーロッパ全体の利益に奉仕する気構えと能力をもっているからである。関西は日本という一国のレベルを超えて、東アジアと東南アジア全体の利益に奉仕する気構えと能力を持つべきである。 「独・仏両文化の中に生まれて(地政的に独・仏両文化に両棲する民族といえる。)、独・仏・英語の駆使になんの不自由もない国際プレイヤーでありながら、小国の立場ゆえに、力と威信への欲望には生来無縁で、正直な仲介者、周旋人としての寄与を果たすことに、国としても、個人としても、生き甲斐を感じている姿がそこにある。」(p.209)関西人もかくあらねばならない。私個人も、自らの力量と立場の限界を考えれば、かくあらねばならない。 「過去、劣悪な自然条件(土壌、気候)と構造条件(1950年、農地の55%が10ヘクタール未満という小規模経営の支配)のもとで、農業がいかに保護されてきたかはすでに見たが、EECの創設は、現実と対決すべきときの到来を告げた。」(p.217)日本の農業、いや関西の農業もやればできる! 「高いプロフェッショナリティ(操業能力)とサーヴィスの質とが、この市場(ルクセンブルク金融市場:角田注)の安定的な競争力の本質である。」(p.230)関西の大学教育がこうなるべきだ。そのためには関西の高等学校はそれに耐えうる、その大学教育の裾野となる大学生を供給せねばならない。日本の大学には中国の二流学生が多数留学してきている。その条件をいかに活かすか。
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