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クラシック批評こてんぱん
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 洋泉社/ |
発売年月日 | 2006/02/20 |
JAN | 9784862480002 |
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クラシック批評こてんぱん
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
クラシック音楽の批評(家)について考察した意欲作。 無責任に垂れ流される数多の批評にスポットライトを当てることで、その意義や異議を唱える。批評にあたってはもちろん、ある程度の常識的配慮はなされているが、基本は筆者のさじ加減。従って、あとがきでも触れているが、これ以後のクラシック関係の仕事は激減。批評の世界もある種の利害共同体だとバレてしまう。 さて、気になる本書の批評方法ですが、例えば、同じCDを評論した二人の批評を比較してみる、同じ評論家の批評を過去に遡って検証するなどなかなか興味深い。 また、押さえるべき批評家の紹介(レコード店の神様ことあらえびす、重鎮の吉田秀和、感性の宇野功芳、知性の黒田恭一、スキのない許光俊など、以下は木下浩二、喜多尾道冬、椎名淳之、前島秀国、満津岡信育、山崎浩太郎、山尾敦史、芳岡正樹、よしむらこう)も参考になる。 特に個人的に面白かったのは、第5章「クラシック批評との付き合い方」。 2000年5月の西鉄高速バスジャック事件での乗客の行動心理から読み解く日本人特有の同調性(モード)から「この国に批評はある?」「批評って何だ?」と畳み掛ける。さらに、福田和也「批評私観」でとどめを刺す。 とはいえ結局、「(筆者の考える批評とは)対象を書き手の価値判断を用いて分析分類し、それが社会にとって、または自分にとってどのような意味があるのかを述べたもの」と常識的結論で締めたのは、ある意味当然とはいえ、クラシック批評業界への筆者なりの忖度なのか!? 「コテンパン」と銘打たれたタイトルの割には穏当な終わり方が恥ずかしかった(?)のか、5年後に書かれた文庫本あとがきには、イタチの最後っ屁の様に「文庫本化にあたって著者名も村上春樹に変えて権威化を図ろうと思ったが編集者から拒絶された。全く世知辛い世の中になったもんだ」と嘆息してワルぶってみせる、なんてネ。
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斜に構え皮肉たっぷりのようでいてその実、切れ味たっぷりの考えさせられる『批評』を『批評』したクラシック音楽批評論である。 クラシックや音楽批評の範疇に留まらず「批評とは何か」SNS等を含め「発言や議論とは何か」と考えさせられるのである。 「批評とは作品(批評の対称)を語るものでは...
斜に構え皮肉たっぷりのようでいてその実、切れ味たっぷりの考えさせられる『批評』を『批評』したクラシック音楽批評論である。 クラシックや音楽批評の範疇に留まらず「批評とは何か」SNS等を含め「発言や議論とは何か」と考えさせられるのである。 「批評とは作品(批評の対称)を語るものではなく、その作品(対象)を媒介として自己を語る作品だということである」本書より引用。 SNSで個人が気軽に情報発信できる時代になり、相手のお気持ちを察してコミュニケーションに神経を使う時代でもある。社会や会社でも同様だ。プロスポーツのような結果が全ての厳しい世界でも「最近の若者はちょっと厳しく言うと、すぐに落ち込んで塞ぎ込む」と指導の難しさがあるようだ。 誹謗中傷やマウントなど一方的な物言いは勿論良くないことではあるが、例え誹謗中傷に該当しない評価や感想、何気ない発言であったとしても、 「他者への物言いは相手を語るものではなく、その言動を媒介として自己を語る発言だということである」 と考えて、コミュニケーションがもっとうまくいくような社会にならないものだろうか。 特にSNSではお気持ちに左右され過ぎている傾向が強いように見受けられる。自分語りが全てで相手の立場や状況を考えられない人もいる。 感情が全てだから議論が出来ない。会話のキャッチボールで掘り下げが出来ない。 正しい指摘や成長や向上に繋がる意見は、否定的感情的に流されずに受け入れたいものでもある。
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実に楽しいクラシック批評そのものへの批評。言葉で音楽を表現することはそもそも難しいが、批評家はそれをしようとしている!音楽はセックスと同じで興奮させるものといい説明の中で、著者が書くように批評家にとって音楽を聴くことは娼婦のセックスに似ているというのは、非常に的を得た説明だと感じ...
実に楽しいクラシック批評そのものへの批評。言葉で音楽を表現することはそもそも難しいが、批評家はそれをしようとしている!音楽はセックスと同じで興奮させるものといい説明の中で、著者が書くように批評家にとって音楽を聴くことは娼婦のセックスに似ているというのは、非常に的を得た説明だと感じる。彼らは本当に感動して聴いているのだろうか?ベートーベン第9の伝説的名盤フルトヴェングラー指揮バイロイトの音楽評論比べが楽しい。主観の強すぎるように思う宇野功芳に対する評価は真面目で率直なのだろうということは分かる。好き嫌いは別にしても議論を誘発させる雰囲気を持っているというのだから。紹介されている宇野のビールの味に例えた「英雄交響曲」の解説が楽しいし、更に許光俊のマズア指揮のマーラー9番をボクシングの試合に譬えているのは、愉快そのもの、笑ってしまった。(P80)ブルックナー第4について1941年に書かれた音楽評の中で、レコードを手に入れておくべきだった。と後悔する文があることは、今は昔の感じがある。なお、吉田秀和というこの分野での大家については尊敬の気持ちが表れている、チェルビダッケのブルックナーを「老人の長風呂で、響きの中に浸ることが好きになる」との吉田の引用は実に上手い!実は誉めていない評のようなのだ。
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