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阿片の中国史 新潮新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社/ |
発売年月日 | 2005/09/20 |
JAN | 9784106101335 |
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阿片の中国史
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阿片の中国史
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商品レビュー
3.3
7件のお客様レビュー
あっさりした内容です…
あっさりした内容ですが、阿片と中国の歴史について簡単に知りたい方には読みやすいのでお勧めです。
文庫OFF
ありそうでなさそうな…
ありそうでなさそうな題材だったので興味深く読みました。ただ、内容は割りと軽めで、あまり学術的ではありません。
文庫OFF
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
香港本から派生していつの間にか連続的に阿片の本を読み漁る今日この頃。 先に読破した陳舜臣氏の実録アヘン戦争と同時期についての歴史解釈、というより書き口が違うためにだいぶ違う印象を受けるのが興味深い。またアヘン戦争のみならず、その後の革命家の資金源として党に関係なく、ある種の通貨として存在し続けたこと、日本も大陸侵攻のときは阿片を売って大儲けしたなど知らなかったことが多い。西側への憎悪も加わって共産党政権になってから一気に禁止令を出し、禁止できたとといのも興味深い。 日本に阿片が流行らなかった理由を陳舜臣氏は、厭世の清朝末期にダウナー系ドラッグがよくハマったが、日本は明治維新に向けて希望に溢れていたのでハマる人が少なかったと分析していたが、アメリカが日米修好通商条約を結んだ際に、阿片禁止が盛り込まれており、イギリスはそれを雛形として日英修好通商条約を結んだとのこと。陳舜臣氏がこういった事実を知らなかったとは思えないが、それについて触れていなかった事が少し気になる。まあ禁止の有無にかかわらず、ハマる時はハマってしまうのでそれほど意味があったとは思っていなかったということなのだろうか。 P.62 イギリスがやったのは、単なる阿片の輸出などではなかった。イギリスは産業革命以後の技術開発力を結集し、総力をあげて「新商品」を生み出したのである。 P.90 「妖花」ーー妖鬼の花。 ケシの花を、中国の人々はそう呼んだ。人間に食らいついて肉体を蝕み、精神を狂わせ、死ぬまでいたぶりつづける邪悪で淫靡な花だ。 P.106(林則徐が阿片を押収し、処分した件について) 一九四九年に中華人民共和国が誕生すると、虎門の阿片処分の勇姿は「歴史的偉業」として高く評価された。北京の天安門広場にある人民英雄記念碑には、「虎門の銷烟」のモチーフが刻まれている。 P.171 禁令とは、すなわち商売繁盛だ--。 そう言ったのは、アメリカのギャングのボス、アル・カポネだそうだ。 アメリカで一九二〇年に制定された「禁酒法」が、この言葉を生んだのだ。政府が酒類の醸造と販売を禁止したことで、シカゴを縄張りにしたアル・カポネのギャング団が密造酒を裏取引し、暗黒街の犯罪が急上昇してしまったのである。 時期も同じ一九二〇年、中国で阿片が禁止され、同じような事態が生じていた。阿片の密輸に火がつき、以前よりも却って大量の阿片が出回る事態になったのだ。 P.182 中国の近代は革命のオンパレードだと言ってもよいのである。 孫文が清朝を倒して国民政府を打ち立てたのも革命だし、蒋介石が国民革命軍を率いて全国統一を目指したのも、たとえ個人的な野望が強かったとしても、一応は革命だろう。無論、中国共産党が国民党を倒し、一九四九年に中華人民共和国を誕生させたのは、革命の最たるものだった。 歴史の教科書などに描かれる当時の革命は、まるで崇高な政治思想の対立ばかりのようだが、実際には、暴力と奪取と破壊によって社会秩序は乱れ、経済は破綻し、行政も機能しない「無法時代」である。 革命家は、いくら口で理想や理念を叫んでも、収入がなければ戦えない。いきおい軍資金を求めて、手近な阿片へ走ることになる。 P.214 私の父は中国人で、母や日本人である。(中略)父と祖父は日中戦争の矢面に立って戦った敵同士である。(中略)日本と中国の間に、そんな時代がなかったらどんなに良かっただろうと思わない日はない。もしも中国を侵略したのが欧米列強だけで、日本が加わらなかったら、中国は早々と内戦を終結して、平和な国に順調に発展していただろうか。 残念ながら、そうはならなかっただろう。国民党と共産党のいがみあいは、外敵・日本に対するよりも、さらに激しく執拗だった。日本が侵攻した後も、両者は日本をほったらかしにして戦った。そして日本が大陸の奥深くまで進行し、国家存亡の危機が叫ばれるようになったとき、ようやく手を取り合って「国共合作」を実現し、抗日戦争がはじまったのだ。その意味では、日本は国民党と共産党を結びつける「接着剤」の役目を果たしたことになる。現に、日本が敗戦して共通の敵を失ったとき、国民党と共産党は再び半目し合い、前にも増して激しい戦いを演じてみせたのだ。日本がいてもいなくても、中国の内戦は行き着くところまで行かなければ終わらなかったのである。(中略)ただ、日本にとって不幸だったのは、列強諸国に出遅れて、最後に単独で、かつ内陸部まで侵略したことである。最後の敵は、以前の敵より記憶に新しい。直接接した中国人が多ければ、鮮明な記憶も数多く残る。日本ばかりが未だに中国から目の仇にされる理由は、どうもこの辺にあるのではないだろうか。
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