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自我の哲学史 講談社現代新書

酒井潔(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 2005/06/20
JAN 9784061497924

自我の哲学史

¥770

商品レビュー

3.8

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2022/01/02

「自分のことは自分が一番よくわかる」ってホント? 自我って何? 重荷になった自我 「心などない」 崩れていった少年 自己責任論が生む癒し願望 自我の耐用年数 西洋近世哲学における自我 「自我」概念の内実: 他我ならぬ「自我」のアイデンティティー 「自我とはコレコレのものである」...

「自分のことは自分が一番よくわかる」ってホント? 自我って何? 重荷になった自我 「心などない」 崩れていった少年 自己責任論が生む癒し願望 自我の耐用年数 西洋近世哲学における自我 「自我」概念の内実: 他我ならぬ「自我」のアイデンティティー 「自我とはコレコレのものである」 私だけの自我なのか 「自我」と「自己」 実存主義、仏教、社会心理学 デカルトからカントへ: 懐疑を通じて「自我」の存在を確立する じつは不徹底なデカルトの懐疑 自我は思惟実体である 「思惟」はどのようなものか デカルトのいう自己意識とは 「内的な認識」とは何か 「コトギ」は超越論的性格を含む 誰であっても必然的、規範的な自我 「超越論的自己認識(統覚)」としての自我 「超越論的統覚」は多様を「統一」する 現象我と超越論的自我 自我の同一性 同一性の強化 カントの二重の自我―道徳哲学の位相 フィヒテの自我論 フッサールの自我論 内容を含む自我はあるか ライプニッツの自我論: 個体的実体とは 「私についての完足的概念」 個体的概念には内的規定と外的規定が含まれる 社会心理学との類似 個体の事実真理とは何か 同一性について 意志としての自我へ――キルケゴールとニーチェ: 根源的な意志としての自我へーキルケゴール 「自己」とは「関係」である 深まり行く「絶望」の現象学 「自我」から「自己」へ 「力の意思」としての自我―ニーチェ 自我は「遠近法」である 主観性の形而上学の極点としてのニーチェ 自己を超えていく「超人」 じつはモラリストのニーチェ 真の自我は「創造する者」である ディオニュソスとツァラトゥストラの間で キルケゴールとニーチェによって「自我」概念はどうなったか 20世紀大衆社会の中の自我――ヤスパースとハイデッガー: ヤスパースの「現代の精神的状況」 「大衆」 自己放棄 ハイデッカーにおける「現存在の日常性」 気分づけられた自我 「不安」 ハイデッカーの「現存在」は脱近代的か? 現存在もひそかに「立ち・続ける」 雄々しく決断する現存在? ハイデッカーの「歴史性」概念に見え隠れするもの 生と死のあいだに伸び広がる現存在 「四方域」に「立つ」現存在 現代哲学と自我――ブーバーとレヴィナス: 故郷喪失者たち ヴァーチャル世界と自我 ブーバーとレヴィナス ディルタイの「生の連関」 自我のゆくえ 宮沢賢治の自我論: 宮澤賢治と西洋哲学の出会い 「わたくしという現象は・・・」 「心象」としての自我 「因果交流電燈」とは何か 「心象スケッチ」という方法の意味するもの 風景とひとつになった自我 西田哲学の自我論――我は我ならずして我なり: 西田哲学の立場 「純粋経験」から「自覚」へ 「自覚」、「限定」 術語となって主語とならないもの 「場所」としての自己 「無の場所に包まれる」 「自我は何である」とは言えない 「自己」を行ずる 西洋の自我論、日本的な自我論 自己の深い体験 夏目漱石の自我論: 「私の個人主義」 「現代日本の開化」 自我の葛藤の問題 「良心」としての自我 「非人情」とはなにか 我は我を知らずして我なり 16世紀南西フランスで起きた偽者事件: 自我が「同一性」を獲得する 偽マルタン事件がわれわれに教えるもの 近代以前の社会と「偽者」 ライプニッツの言いたかったこと 日本人と自我のゆくえ: 癒しブーム 西洋哲学の基本特性と「癒し」願望 西洋哲学と現代世界 目で見るとは 「見ること」の攻撃性、そして「癒し」 今日の日本社会における自我の形骸化 自我は必ずしも同一人格ならず 「自分がない/ある」 アリストテレスの「中庸の徳」 優れた人柄とは 能動的で、持続的に努力する自我 別の自我モデルの可能性 失われつつある生活の知恵 エピローグ 仮面の自我、あるいは着脱する仮面 「福祉」の概念によせて

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2020/03/06

「私とは何か?」という哲学上最も重要かつ永遠の問いを歴史的に考察。第1部は西洋哲学史となっており、中々読み応えがある。第2部は明治以降の日本思想史(文学史?)となっており、心理学や宗教学等々色々と混ぜ込んだ日本文化論となっている。著者は「自我」に関して西洋と東洋を比較しようとする...

「私とは何か?」という哲学上最も重要かつ永遠の問いを歴史的に考察。第1部は西洋哲学史となっており、中々読み応えがある。第2部は明治以降の日本思想史(文学史?)となっており、心理学や宗教学等々色々と混ぜ込んだ日本文化論となっている。著者は「自我」に関して西洋と東洋を比較しようとするのだが、そもそも1部と2部とではアプローチやテイストが違うので比較が上手くいってないような印象を受ける。 著者の結論としては西洋的自我(主体性・同一性・連続性)は東洋的自我(仏教的?共同体的?)とは合わない(というかそもそも日本には自我がない)ので、無理に西洋的自我に合わせる(取り入れる)必要はないというありきたりで平凡なものになってしまっている。個人的には2部以降や東西比較はイラナイので1部で言及する哲学者を増やしてもっと充実した西洋哲学史の内容にして欲しかったかな。

Posted by ブクログ

2019/10/05

「自我」あるいは「自己」という概念が、西洋思想史のなかでどのようにかたちづくられてきたのかをたどり、日本における「自我」のとらえかたとのちがいを論じた本です。 自我を思惟実体だと考えるデカルトから、自我を対象認識の超越論的制約としてとらえなおすカントへと展開していった西洋哲学の...

「自我」あるいは「自己」という概念が、西洋思想史のなかでどのようにかたちづくられてきたのかをたどり、日本における「自我」のとらえかたとのちがいを論じた本です。 自我を思惟実体だと考えるデカルトから、自我を対象認識の超越論的制約としてとらえなおすカントへと展開していった西洋哲学の「自我」論においては、「自我」の同一的・連続的・主体的な性格が色濃く示されています。これに対してライプニッツの個体的概念は、内的規定のみならず外的規定をもア・プリオリに含む「完足的な」観念とされており、世界全体との関係のなかで個別化された「自我」のとらえかたが見られると著者はいいます。 さらに著者は、キルケゴールやニーチェなどの「自己」の観念についての理解を概観します。そこには、カントによる経験的自我と道徳的自我との分裂を乗り越えるような発想が見いだされるものの、やはり理想的な自己がめざされているという傾向がつきまとっているという指摘がなされています。 こうした西洋哲学史上の「自我」概念に対比するしかたで、著者は近代日本における「自我」理解をたどっていきます。宮沢賢治の「因果交流電灯」としての自我、西田幾多郎の「場所」としての自己、さらに夏目漱石の文学などを題材に、日本的な自我から出発しつつ倫理的次元へと超越することが可能だろうかという問題が提起されています。

Posted by ブクログ

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