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悲劇のヒーロー 豊臣秀頼 悲劇のヒーロー IZUMI BOOKS10
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 和泉書院/ |
発売年月日 | 2005/01/20 |
JAN | 9784757602854 |
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悲劇のヒーロー 豊臣秀頼
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秀頼没後390年にその悲劇の真相を探る。 大坂城で生まれた太閤秀吉の後継者秀頼は二十三歳を一期として、慶長二十年五月、炎に包まれた大坂城で母淀殿と共に消え去った。なぜ秀頼は大坂城において無残な死を遂げねばならなかったのか、歴史の必然性を解き明かす。古文書の研究が歴史を明らかにす...
秀頼没後390年にその悲劇の真相を探る。 大坂城で生まれた太閤秀吉の後継者秀頼は二十三歳を一期として、慶長二十年五月、炎に包まれた大坂城で母淀殿と共に消え去った。なぜ秀頼は大坂城において無残な死を遂げねばならなかったのか、歴史の必然性を解き明かす。古文書の研究が歴史を明らかにする鍵であることを、秀頼の生涯によって例証する。 序 章 第一章 豊臣秀頼の誕生 第二章 豊臣秀頼の朝鮮出兵 第三章 豊臣秀次の政権 第四章 豊臣秀次の印判状 第五章 豊臣秀頼と徳川幕府 第六章 大坂の陣ー秀頼滅亡ー 第七章 豊臣秀頼の書状・印判状 終 章 なにわのことは夢のまた夢 タイトルと内容にギャップを感じるが、終章によると本書の作成は、科学研究費による「戦国大名印判状」の共同研究に端を発しており。著者が関白豊臣秀次と豊臣秀頼を担当したことによるという。 専門書にしては、珍しく文章にセンチメンタルな表現が目立つ。また、豊家滅亡が歴史の必然だったとか秀頼が悲劇のヒーローであったという見方にも 違和感を感じる。 以下、備忘的に 秀吉と秀次の対立は、著者が引用されている朝尾直弘氏の「後者(秀次)が前者(秀吉)の思惑による限度をこえた実質的権力として機能し始める時、秀次の政権は消される運命にあった」という一文が的を得ているように思う。それにしても、秀吉は後継のことをどのように考えていたのだろうか。 にわか作りの5大老5奉行制度が頼りになるはずもない。律儀な徳川殿と頼りにしていたのだろうか。6歳の幼児が天下を継げる訳も無い。秀吉が家康に対し「もし後継ぎが補佐するに足りれば、これを補佐せよ。もし才能がなければ君自ら取るべし」と言っていれば、天下人という呪縛から逃れることが出来て、政権移行がスムーズに行われたのではないかと、妄想してみる。 二重公儀体制の論争についても取り上げられている。著者は二重公儀体制は権威の関係では確かに存在するが朱印状の発給もなく公儀の裁許権として機能した事績は皆無としている。この権威はあっても権力は無かったという見方には同感であるが、そもそも二重公儀体制論は、統治機構が二つあったと言っている訳ではなく、シンボルとして二つの家が並立していたことを指していると思っていたが、私の理解が違うのだろうか。 慶長十六年の二条城での対面について、著者は、家康に秀頼が臣従するという政治上の儀式となったとしているが、ある面正しいとしても、この見方には違和感がある。 本書が引用している藤田達生説によると、この対面は、徳川・豊臣両氏の主従関係を逆転させ、事実上、天下に秀頼の家康への臣従が宣言されたとしているが、私は徳川家の立場が上昇したことは事実であるが、関係が逆転したとまでは言えないし、臣従の宣言ともとれないと思う。 著者は、対面の結果、家康は多くの諸国大名を臣従させたとしているが、この対面を待つまでも無く、他の大名は家康に臣従していたのではないだろうかと思う。 著者が言うように「朱印状の発給もなく公儀の裁許権として機能した事績は皆無」というのであれば、秀頼は何を考えていたのだろうか。親政する気概があったとも思えない。実質として秀頼が幕府に臣従(義理の祖父や義父に挨拶するため参勤交代を行う、将軍の縁者と自分の子女を婚姻させ人質とする等。)していたら制外の家として生き残る可能性があったと思う。 いろいろ見解は異なるものの、考えさせてくれる一冊である。
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この本の題材に惹かれて即GET。(笑) 秀頼が好きなので、凄く嬉しかったです♪史料・文書解釈が豊富で、秀頼好きな私には逃し難い一冊です(笑)。
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