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友情を疑う 親しさという牢獄 中公新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社/ |
| 発売年月日 | 2005/09/24 |
| JAN | 9784121018137 |
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友情を疑う
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友情を疑う
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商品レビュー
3.9
8件のお客様レビュー
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著者は、「親密さ」が必ずしも哲学者にとって友情の条件として捉えられていなかったことを示す。 むしろ「親密さ」を友情の条件としたルソーは異端であり、友人は助け合うものという思想は全体主義に繋がるものとする。 「現代の日本を、(...)構成員の善意をあてにしなければ成立しないような鬱陶しい社会、友人の有無が生活の質を左右するような親しさの牢獄にしてはならない(...)」 書籍の副題を含むタイトルを顕著に表している一文。いささか過激ではあるものの、同調できる。 同じような思想を持つ者としかつるまず、異なる考え方を監視・排除して結束しようとする全体主義的な考え方は、フランス革命時の恐怖政治やナチス政権にのみ当てはまるものではない。 わかりやすいところで言えばヤンキー集団やカルト集団の在り方に共通するし、学校・職場など日常生活でも少なからず見出すことができる傾向であるように思う。 周囲の人との繋がりを共通項に求め、それを補完し合う関係が心地よいものであることは疑いようがない。 友情や友人の定義が曖昧な現代においてこの心地よい関係を「友情」と表現し、その相手を「友人」と呼び、絆を深め合う中で全体主義化していく。 この過程では、友人に対する善意や好意と、友人以外の者に対する敵意が貢献の指標となり、集団内の相互依存関係が加速していく。 個人が所属する集団は一つではないから、一つの全体主義的集団で得た自己満足はほかの集団においても適用され、友情や友人という言葉を離れて、善意をあてにした集団形成が伝播していくのかもしれない。 だが、このような集団形成は理性による「最も効率的な最大多数の最大幸福の実現」を疎外するように思えてならない。 私はできることならば、各人によって異なる視点を擦り合わせて合意を形成し、それに向けて善意ではなく目的意識でもって形成される集団に属したいし、それができる関係性を友人と呼びたい。 内容は西洋哲学に特化しており、私自身が高校時代に感じていた西洋の思想および社会構造のダイナミックな世界史の流れに対するロマンを思い出した。東洋思想版も読んでみたいものである。 最後に不躾ながらも著者の印象について。 あとがきにて著者は、友情という言葉が「使えない」ものだとし、この状態を以下の言葉を用いて嘆いている。 「未来というものは、明日というものは、誰にとってもいかなるときにも一種の闇でしかありえないのであり、私たちは、その闇へと後ろ向きに、ボール・ヴァレリーの言葉を使うなら、「あとずさりして」入って行くことしかできないのである……。」 哲学者ゆえの悲観というべきか、(自分が以前は同様の考え方をしていたことは棚に上げて)暗すぎて笑ってしまった。 「友情」や「友人」という言葉が使い物にならないことへの空虚感はさておき、言葉をめぐる曖昧さをもって未来に対して闇のみを感じるのはいささか短絡的という気がする。言葉というものは、時代、地域、思想によって定義を変えていくものであり、その曖昧さゆえに見出すことのできる危機や、それを未来において打開しようとする意欲や希望をもつ余地のあることを本書は教えてくれたように思う。 2018/05/27
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キャッチーなタイトルとはだいぶ趣が異なる、西洋哲学の論文だった。忙しい合間に読んでも目に映るだけで入ってこない、ちゃんと素養がある前提でじっくり読まないと無理な本・・・ 友人たちよ、友人などいないのだ。
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親しい友人がいることは無条件にいいことだと思われている。 友人の数が、すなわちその人間の価値だとみなす風潮がある。 TwitterやFacebookなど、ソーシャルネットワークでも、フレンド数の多さが競われたりする。 名刺の数が「人脈」と称され、仕事の能力とほぼイコールだと考えられている。 確かに、人と人とのつながりは尊い。人間は一人では生きていけないから、人間同士のネットワークが大事なのはあたりまえだ。しかし──。 「あいつは人付き合いが悪い。だからつまはじきにしてしまえ」。 「あいつは友達だから、特別に便宜をはらってやろう」。 「同じ釜の飯を食った友人なのだから、不正にも目をつぶるべきだ」。 「能力のない首相だが、永年のつきあいだから支持しよう」 こうして見ると、社会の不正、停滞、犯罪の根っこに、しばしば「友情」が隠されていることもまた確かではないだろうか。 本書はこうした「友情」の逆理を見据え、「絶対的によきこと」とされている「友情」が、むしろ思想史の中では危険視されてきたことを明かす。冒頭、アリストテレスの末期の一句「友人たちよ、友人などいないのだ」から始まり、ルソー、カントに至るまで、思想家のさまざまな考えが紹介される。「友情」はえこひいき、付和雷同、烏合の衆を生み出しやすい。だから一部の哲学者たちは国会など公的な討論の場における対等のパートナーをこそ友人と呼ぶべきで、意見を同じくする人々の密着した関係を友情とは呼ぶべきではない、とみなしていた。このような議論から著者は結論づける。「少くとも現代の日本では、本当の意味での友情が機能する場所は見い出されないこと、したがって、私たちが『友人』と名付けている知り合いは、本当の意味での友人なのではなく、比喩的な意味で『友人』と呼ぶことができるにすぎない存在であることが明らか」。 「友情」だけではなく「人間関係」全般にまで反省を迫る衝撃の書である。
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