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友情を疑う 親しさという牢獄 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社/ |
発売年月日 | 2005/09/24 |
JAN | 9784121018137 |
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友情を疑う
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商品レビュー
3.8
7件のお客様レビュー
キャッチーなタイトルとはだいぶ趣が異なる、西洋哲学の論文だった。忙しい合間に読んでも目に映るだけで入ってこない、ちゃんと素養がある前提でじっくり読まないと無理な本・・・ 友人たちよ、友人などいないのだ。
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親しい友人がいることは無条件にいいことだと思われている。 友人の数が、すなわちその人間の価値だとみなす風潮がある。 TwitterやFacebookなど、ソーシャルネットワークでも、フレンド数の多さが競われたりする。 名刺の数が「人脈」と称され、仕事の能力とほぼイコールだと考えられている。 確かに、人と人とのつながりは尊い。人間は一人では生きていけないから、人間同士のネットワークが大事なのはあたりまえだ。しかし──。 「あいつは人付き合いが悪い。だからつまはじきにしてしまえ」。 「あいつは友達だから、特別に便宜をはらってやろう」。 「同じ釜の飯を食った友人なのだから、不正にも目をつぶるべきだ」。 「能力のない首相だが、永年のつきあいだから支持しよう」 こうして見ると、社会の不正、停滞、犯罪の根っこに、しばしば「友情」が隠されていることもまた確かではないだろうか。 本書はこうした「友情」の逆理を見据え、「絶対的によきこと」とされている「友情」が、むしろ思想史の中では危険視されてきたことを明かす。冒頭、アリストテレスの末期の一句「友人たちよ、友人などいないのだ」から始まり、ルソー、カントに至るまで、思想家のさまざまな考えが紹介される。「友情」はえこひいき、付和雷同、烏合の衆を生み出しやすい。だから一部の哲学者たちは国会など公的な討論の場における対等のパートナーをこそ友人と呼ぶべきで、意見を同じくする人々の密着した関係を友情とは呼ぶべきではない、とみなしていた。このような議論から著者は結論づける。「少くとも現代の日本では、本当の意味での友情が機能する場所は見い出されないこと、したがって、私たちが『友人』と名付けている知り合いは、本当の意味での友人なのではなく、比喩的な意味で『友人』と呼ぶことができるにすぎない存在であることが明らか」。 「友情」だけではなく「人間関係」全般にまで反省を迫る衝撃の書である。
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[ 内容 ] 友人。 誰のまわりにも一人はいる身近な存在と考えられている。 しかし、友人との付き合い方にルールはなく、友人が私たちに何を運んでくるかは予測のつかぬ謎である。 誰が友人か、どこに友人はいるのか、友人と親しさの差異は何か、そして友情の政治的機能とは…。 本書は、哲学者たちの友情論を手がかりに、公共の空間における対人関係の本来の姿を描きながら、友情の消滅の危機と、それが原因の国家の危機を遠望する。 [ 目次 ] 第1章 友人という謎(学校に友だちはいるか;スポーツ選手の「友情」 ほか) 第2章 危険な友情(「友人」たちの犯罪;問題の発見 ほか) 第3章 友情の神秘(モンテーニュとラ・ボエシー;なぜ彼なのか ほか) 第4章 人類への友情(友人としての人間;合意形成と友情 ほか) 第5章 友情という幻想(友愛と友愛化;幸福な者への憎悪;「引力」の呪縛;友情の黄昏;統合の問題) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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