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名古屋と金シャチ NTT出版ライブラリーレゾナント7
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | NTT出版/ |
発売年月日 | 2005/02/18 |
JAN | 9784757141100 |
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名古屋と金シャチ
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名古屋と金シャチ
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井上章一は、建築史家、風俗史研究者という肩書を持ち、『法隆寺の精神史』、『つくられた桂離宮神話』という本を書いている。この二冊の本を読んで井上章一に対して、いかがわしい人物と私は、断定した。 井上章一は、「私は審美家である。美的な感受性のゆたかな人間であると思っていたが、私には、...
井上章一は、建築史家、風俗史研究者という肩書を持ち、『法隆寺の精神史』、『つくられた桂離宮神話』という本を書いている。この二冊の本を読んで井上章一に対して、いかがわしい人物と私は、断定した。 井上章一は、「私は審美家である。美的な感受性のゆたかな人間であると思っていたが、私には、桂離宮の良さがわからない。桂離宮を見ても美的感動はなく、退屈」と言う。そこから、ブルーノタウト に「桂離宮が美しい」と言われてもと始まる。語りの切り口がうまい。研究者にも、三枚目的な人がいると思った。 京都を主に研究していると思ったら、『名古屋の金シャチ』があったので読んだ。 なぜ、名古屋は金のシャチホコだらけなのか?から始まる。シャチバス、シャチタク、シャチハタ、シャチモナカ、陸上自衛隊第十師団はシャチマーク、サッカーチームのグランパスエイト、グランパスってシャチの英語とは知らなんだ。 シャチホコは、龍と魚の仮想動物と著者はいう。そのことも知らなかった。ウィキペディアによると虎と魚だと書いてあるが。シャチホコは、シャチホコだと当たり前に受け入れていた。 一体、シャチホコはどこからきたのか。どうして、名古屋城の天守閣の上に載っているのかを調べ始めるのである。法隆寺の柱が、ギリシャ建築の影響を受けているということを、調べる手法である。 ローマのバルベリーニ広場にあるトリトンの泉。それが、イルカが逆立ちをして、シャチホコに似ているという。そして、様々な外国で、シャチホコ型を見つけるのである。とりあえず、シャチホコはずいぶん昔に遡ることができると説明する。 城の天守閣の屋根にシャチホコをつけたのが、織田信長の安土城から始まったという。それが、南蛮人からトリトンの話を織田信長が聞いたことで作ったという仮説がある。中国の鴟尾(フクロウ、トビの尻尾)は、文献的には4世紀まで遡ることができ、屋根頂部の両端に左右一対の鴟尾を置く形式ができていた。奈良時代の唐招提寺金堂に鴟尾がついている。中国伝来ではないかという仮説もある。しかし、鴟尾からシャチホコへの飛躍はどこにあったのか?ということを考察する。 名古屋市の職員のバッチも、1965年「百合と八」から「シャチホコの八」に変わる。それは、杉戸清市長の時であり、市長からのトップダウンだったという。また、職員機関誌も「シャチ」と名付けられる。そこから、シャチホコブームが定着するのである。 それにしても、シャチホコが雄と雌があり、雄が北側で、口の開きが大きく、メスが南側とか。それも知らなかったなぁ。江戸時代 1972年に柿木金助が大凧に乗って、鱗を盗んだという話があり、それが、歌舞伎の『傾城繁夜話』、『金鯱噂高波』(岡本綺堂)となり、1902年に歌舞伎座で演じられた。1937年にも雄のウロコを58枚盗んだ男もいた。 江戸から明治に変わることで、名古屋城をどうするかというときに、城主だった徳川慶勝は存続を諦め、1870年に宮内省にシャチホコを献納する。1872年に、東京湯島聖堂で博覧会が行われ、シャチホコが飾られ、人気を博した。1873年にオーストリアのウイーンで万国博が行われ、そこでもシャチホコのメスが飾られる。1878年に宮内省は名古屋城に返還することを決めた。 名古屋は、秀吉の金の茶室といい、金のシャチホコとか、金に縁がある。市長が金メダルにかぶりついたりもする。ふーむ。独特の文化だ。 それで、シャチホコの話から、日本の三大ブスの産地の話になる。まぁ。井上章一は『美人論』で有名になったからね。三大ブスは、仙台、水戸、名古屋だという。しかし、名古屋のブスは、美人は東京に行ったからだというのを論証する。明治維新以降、新橋芸者の6割が、名古屋種、名古屋仕込みのオキャーセ芸者だという。名古屋美人は「色白まるぽちゃ」で、江戸時代のうりざねから変化を起こしたという。結局、井上章一は、名古屋芸者のシャチホコだちを言いたかったのだ。 尾張名古屋は、城で持つと言われるが、シャチホコで持っていたのだ。 こう言う話を井上章一に書かれたくない。名古屋人がきちんと書くべきだ。
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名古屋の代名詞の1つである金シャチ。金シャチの歴史とそれにまつわるサイドストーリーについて書かれている。江戸時代から現代までの風俗史についても触れてあり、いわゆるナゴヤ本とは違い、なかなか読み応えはある。
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