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塙保己一とともに ヘレン・ケラーと塙保己一
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | はる書房/ |
発売年月日 | 2005/09/12 |
JAN | 9784899840701 |
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塙保己一とともに
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■塙保己一とともに ー ヘレン・ケラーと塙保己一 堺正一 はる書房2005年 ●ヘレン・ケラーと塙保己一 昭和12年(1937)4月26日、日本を訪問していたヘレン・ケラーは、東京の渋谷にある温故学会を訪れました。この会館は江戸時代の後期に活躍した盲目の大学者・塙保己一の功...
■塙保己一とともに ー ヘレン・ケラーと塙保己一 堺正一 はる書房2005年 ●ヘレン・ケラーと塙保己一 昭和12年(1937)4月26日、日本を訪問していたヘレン・ケラーは、東京の渋谷にある温故学会を訪れました。この会館は江戸時代の後期に活躍した盲目の大学者・塙保己一の功績と人物を広く後世に伝えるために、渋沢栄一たちによって設立されました。 このとき、ヘレンはこう話しています。 わたしが幼いときのことですが、母はわたしに「塙保己一先生はあなたの人生の目標になる方ですよ」とよく話してくれたものです。日本には幼くして目が全く見えなくなってしまったのに、努力して立派な学者になった塙先生という方がいたと教えられました。それを聞いて、わたしは励まされて、いっしょうけいんめい勉強しました。そして、苦しいとき、つらいときも、くじけず努力することができたのです。 今日、こうして温故学会を訪問して、先生の像にじかに触れることができたのは、今回の日本訪問のなかでもっとも意義深いものでした。使い古された質素な机に触れ、優しそうに少し首をかしげた先生の像に両手で触っていると、塙先生のお人柄が伝わってきて、いっそう先生への尊敬の気持ちが強くなってくるのです。 ●塙保己一 江戸時代の後期に活躍した盲目の学者で、現在の埼玉県本庄市児玉町の農民の出身です。日本古来の精神文化を後世に確実に伝えようと、盲目の身でありながら、各種の貴重な文献多数を校正し、出版しました。また、これらの学問を教え、日本の歴史や法律制度などを研究するために「和学講談所」という学校を自らの手で創立しました。我が国の文化の発展に貢献した功績が認められ、晩年には幕府から大名にも等しい処遇を受けました。 ●生まれ故郷で 先祖は、平安時代の学者で、有名な小野篁(おののたかむら)にまでさかのぼる。その篁から七代あとに、孝泰という人がいて、武蔵野国の国司になったが、任務を終えても京都には戻らず、その地にとどまった。その子孫が保己一の生まれた荻野家の祖先となった。 保己一の父、宇兵衛も母きよも、とても心の優しい人であった。 保己一はその心優しい性格で知られているが、この両親の影響を受けて育ったためではないか。 延享三年(1746)五月五日の端午の節句に、保己一は生まれた。 体があまり丈夫ではなかった。 保己一の楽しみの一つは、昔の物語を読んでもらうことだった。特に戦ものが大好きだった。驚いたことに、この少年は一度聞いたら、その話をそっくり覚えてしまうのです。そのうえ、一言も間違えずに他の人たちにも話して聞かせるのですから、誰もが感心するのでした。 ●悲しみを乗り越えて 保己一が12才の初夏のこと、母は悪い風をこじらせて床に伏すことが多くなりました。父といっしょに必死に看病したかいもなく、母はなくなってしまいました。 しかし、この12才の少年は、このときすでに、この苦しみや悲しみを糧に、力を振り絞って、明日に向かって歩み出そうとしていました。 「江戸では、たとえ目が見えなくても、努力次第で成功している人たちがいくらでもいる。盲人一座で出世すれば、旗本武士と同じ身分にだってなれる…」と聞かされた。 「群書類従」 古代から、江戸時代初めまで、千年以上にわたって、多くの人たちが書き残した1273種類の貴重な文献や書物を25の部に分類し、666冊に仕立てた大文献集です。すべて保己一の責任のもとで、企画、編集、校正、出版、販売がなされたのです。また、今日でも、国の内外において日本の文化を研究するためには、欠かせない資料であると言われています。
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ヘレン・ケラーと塙保己一を結ぶ人物がアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者)と井沢修二 渋谷の温故学会を訪問し、保己一の業績を肌で感じたい 保己一の普段の食事は「一汁一菜」というものでした
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