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影の外に出る 日本、アメリカ、戦後の分岐点
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 日本放送出版協会 |
発売年月日 | 2004/05/24 |
JAN | 9784140808351 |
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影の外に出る
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
むろん私も含めて、日本人が冷戦の過程で失ったものは何かを片岡義男は厳しく追及している。それはつまり、国家というリアルな存在を立ち上げられるだけの自信を日本人が勝ち得ず、故に自主的に振る舞うことができずアメリカに従属するがままになり、空疎な言葉を並べ立て抽象的な言葉遊びしかできない...
むろん私も含めて、日本人が冷戦の過程で失ったものは何かを片岡義男は厳しく追及している。それはつまり、国家というリアルな存在を立ち上げられるだけの自信を日本人が勝ち得ず、故に自主的に振る舞うことができずアメリカに従属するがままになり、空疎な言葉を並べ立て抽象的な言葉遊びしかできない国民になってしまったことではないかと思う。悪く言えば、この本の中で片岡義男の立ち位置はどこなのか見えないところがある。彼もまたコマンダー(軍師?)気取りではないか、と批判することもできるだろう。しかし、私はもっと違う批判を試みたい
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『スローなブギにしてくれ』で、僕らの前に片岡義男が登場したときのあざやかさを忘れない。真似ようたって、真似のできないアメリカナイズされた感覚がそこにあった。その後の活躍は、いうまでもない。写真を多用した独特の本づくりのセンスも、シャープな切れ味を見せて、片岡義男というブランドは、...
『スローなブギにしてくれ』で、僕らの前に片岡義男が登場したときのあざやかさを忘れない。真似ようたって、真似のできないアメリカナイズされた感覚がそこにあった。その後の活躍は、いうまでもない。写真を多用した独特の本づくりのセンスも、シャープな切れ味を見せて、片岡義男というブランドは、かっちりとできあがっていたように思う。印象はといえば、クール、そのひとことにつきるだろう。 『日本語の外へ』からだったろうか、おや、少しちがうぞ、という印象を持ちはじめたのは、分厚いその本は、長編評論集と銘打たれ、第一部はアメリカ、第二部は、日本語について論じられている。湾岸戦争を契機に見続けてきたアメリカという国について書かれた第一部も、そうだが、母国語で考えるということについて、ここまで怜悧に考察した日本語論は初めてだった。片岡義男は、正真正銘のクールだった。 日本について、日本とアメリカの関係について、片岡はその後もウォッチングを続けていた。2003年10月20日から、2004年4月7日まで断続的に書かれた、これはその観察記録である。日本の政府を代表する首長がイラク戦争に向けて、どういう発言をし、どういう態度をとり続けてきたか。その間の日本経済の動向をからめながら、対イラク戦に向けての日本の動きを新聞二紙の情報をもとに分析したものだ。 他のイラク戦争関連の書物と本書を分けるのは、始めに結論ありきでないという点である。無論、結論はある。しかし、あくまでそれは考察の結果現れたもので、客観的な分析結果のように、ある。さらには、日本の多くの評論家と称する人たちが書くものにある、他の権威に乗っかった物言いがまったく見られないということだ。結果的にそれは、分析を明晰なものにするが、人によっては、単純すぎる、あるいは割り切りすぎるという感じを受けるかもしれない。 イラクに自衛隊を派遣するかどうか、その規模、その時期について、アメリカの期待を感じながら、どう対処するかという課題に対して、日本政府が示した不明瞭で、定見のないそれでいて結論だけは決まっている、何とも無様な対応ぶりがどうして起きたのか。結論から言えば、そこに「国家がない」からだ、というのが片岡の認識である。 国家がないというのは、どういうことか。太平洋戦争でアメリカに敗れて以来、軍備については対米依存で満足に考えようとしてこなかった。それでは、戦前の国家観に代わる新しい国家というものを真剣に考え、創造してきたかといえば、してこなかった。日本人が国家に代わるものとして作り上げ、押しいただいたのは「会社」だった。 国家がないから、憲法前文を引いて、全く誤った結論を導き出す首長というものが現れる。国家がないから、政府が、国を誤った方向に引っ張っていかないためにその縛りとして存在する憲法に、国民の義務を謳うべきだという意見に疑問を抱かない国民というものが半数近くも存在する。一国の転換点とも言える時期に、政府首脳が公式に発表した「言葉」から、考察した挙げ句が「国家がない」という結論だった。 あなたはこの結論にあきれるだろうか。それとも、何をばかな、日本という国家はたしかにあるじゃないか、というだろうか。小泉首相の発言を聞くたびに空疎な感情が胸に湧くようになって久しい。それまでなら、考えられなかったような粗雑な失態が、政治家だけでなく、官僚や企業にまで次から次に出来し、この連鎖は止められないのではないかという不安が頭の中から去らない。何かがおかしい、と感じているが、その何かが分からなかった。「国家がない」というのは、その一つの解答にならないだろうか。 あとがきに片岡はこう書く。「現状はすでに充分すぎるほどに惨憺たるものであり、これからさらにひどくなっていくはずだ。しかしそのことに悲観はしても、不安を持ってはいけないようだ。現状に不安を覚え、前方に対しておびえると、何か確かなものを求める気持ちが強くなるのではないか。確かなものを過去の中に求めると、過去から学ぶのではなく、そこへただ戻るだけとなる。そして、そこにあるのは、けっして確かなものではなく、確かだったはずのものでしかない。」そのとおりだと思う。
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