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神の神経学 脳に宗教の起源を求めて
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神の神経学 脳に宗教の起源を求めて

村本治(著者)

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神の神経学 脳に宗教の起源を求めて

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新生出版/ディーディーエヌ
発売年月日 2004/04/30
JAN 9784861280139

神の神経学

¥1,045

商品レビュー

3.7

3件のお客様レビュー

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2018/12/22

本書は、神経が「神(宗教活動)の経(すじ)」と書かれることに着眼して執筆されたものである。そもそも神経という言葉は「神気(生命活動)の経脈(縦糸)」の意を持つ造語として「解体新書」翻訳時に杉田玄白(1733-1817年)により生み出されたとされる。 東京大学医学部を卒業後、渡米...

本書は、神経が「神(宗教活動)の経(すじ)」と書かれることに着眼して執筆されたものである。そもそも神経という言葉は「神気(生命活動)の経脈(縦糸)」の意を持つ造語として「解体新書」翻訳時に杉田玄白(1733-1817年)により生み出されたとされる。 東京大学医学部を卒業後、渡米し神経内科医となった著者は、本書において、なぜ本来人に愛と憐みと平和を説くはずの宗教が原因となって悲劇が地球上で繰り返されるのか(本書は9.11事件の2年後に書かれた)という疑問に答えを与えるべく、神話の共通性や人類の普遍的な精神活動(自然に畏敬の念を抱く、超自然的存在を信じ崇拝する)について神経生物学的側面から解説を試みている。 身近な宗教体験の例として、葬儀や墓参りなどで故人の霊魂が近くに在る、あるいは先祖が見守っていてくれるというような感覚が挙げられる。そのような感情や思考あるいは或る種の錯覚は、後頭葉に伝達された視覚情報(遺影・供花・ろうそくの炎)や、側頭葉に伝達された聴覚情報(読経・弔辞・賛美歌・木魚のリズム)や、大脳辺縁系(脳前部下面の嗅覚中枢)に伝達された嗅覚情報(線香の匂い)などが、脳の連合野という領域で複雑に統合された結果の精神活動として説明される(また、これらの感覚情報は“海馬”という領域を刺激し、脳に貯蔵された生前の故人との記憶情報を呼び出すきっかけともなる)。宗教体験に関係する連合野には、前頭葉(道徳的判断・倫理的行動・人格の保持)、側頭葉(癲癇性格・夢・幻覚・妄想・情動=扁桃核)、頭頂葉(瞑想時の無我の境地・自己と非自己の区別)などがあり、このうち前頭前野は、良心や善行などの源泉となる「内なる神」を宿す重要な働きを持つ。しかしながら、特定の“外なる神”の絶対神格化を図る一神教原理主義的宗教組織の働きかけにより、善を基本とする「内なる神」に代わって“外なる神”が信者個人の脳を支配するとき、狂信的信者に神の宣託を後ろ盾とした紛争行動を引き起こさせる、との解釈も成立し得る。

Posted by ブクログ

2008/06/08

なぜこの分野の本が他にほとんど無いのか。脳の一部が宗教的体験を引き起こすメカニズムを、根拠をもって説明している本。

Posted by ブクログ

2008/01/14

「神」は人間の脳が作り出したものだと考えて、脳の機能から、宗教の成り立ちを考えた本。 瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY」は、まさにこの、「脳によって作り出される神」をテーマにした小説だったけれども、それをより詳細に、医学的に検討をおこなった内容になっている。 アルツハイマー...

「神」は人間の脳が作り出したものだと考えて、脳の機能から、宗教の成り立ちを考えた本。 瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY」は、まさにこの、「脳によって作り出される神」をテーマにした小説だったけれども、それをより詳細に、医学的に検討をおこなった内容になっている。 アルツハイマーの患者の人は、症状が進むと、自分と自分以外との区別がつかなくなってしまうという。それは病気の症状ではあるのだけれども、宗教的な見地からすると、その状態というのは「無我」や「空」の境地と同じような状態になる。 宗教の熱心な信者には、必ず何らかの、個人的な宗教体験がともなう。 幻覚を見たり、神の声が聞こえたりした時には、それが一種の啓示のように思えるけれども、それは単に脳の一部が変性していたり、機能していないというだけのことなのかもしれない。 てんかん症状を持つ人が「神がかり」的な言動をおこったという記録は昔から多く、それは、脳の中でてんかんをひき起こす部位と、神を感じる部位が一致しているからであるという。 神を脳の機能が作り出したものと考える、かなり実もフタもない分析の仕方なので、たとえば純粋なキリスト教信者からすれば、冒涜とも見えるだろう。そのため著者は、慎重に、脳機能から宗教を考えることは、宗教を否定することではなく、一つ先の段階に進めるためのことなのだと説明をしている。 確かに、それまでの文化をくつがえすような大きな宗教の発生は、この2000年以上の間起こっていない出来事なので、科学的な見地から世界観を揺るがす大発見があれば、そこから新たな宗教が生まれる可能性は十分にあると思う。 宗教固有の完成を伴った体験こそは、歴史上一環して宗教の根底にある、本質的なものと考えられる。もちろん宗教はこの根本的基盤から発達して、様々な側面を持つ人間の社会活動となっている。しかし、その起源を理解し、その本質とメカニズムを理解するには、この宗教固有の体験を理解することが不可欠なのである。このような体験を基盤に持たない限り、宗教団体は結局、本質的には政党や組合と同じく、観念や理念と行動目標を共有する単なる人間の集まりに過ぎなくなるであろう。こうした人間の集団活動と宗教とを本質的に分けるのは、この基盤にある超自然的な宗教体験ということができるであろう。(p.79) ドイツの精神医学者で哲学者でもあったカール・ヤスパースはその著書「歴史の起源と目標」の中で紀元前800年から紀元前200年前後を「軸の時代」と呼び、世界の大宗教の基礎がこの時代に各地で成立したことに注目している。何故このような時代が世界の各地で一斉に出てきたのか。これを最も合理的に説明できるのが、脳の進化に伴う必要な神経回路の発達であろう。人類の脳がこの「軸の時代」と呼ばれる頃に、世界的に一定の認知機能にまで発達したために、ギリシャ、エジプト、イスラエル、メソポタミア、インド、中国などで、一斉に宗教や哲学が成熟した体系を整えることが出来たのであろう。(p.157) 日本の代表的哲学者、西田幾多郎は宗教の起源を、人が根本的に持つ「我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之に由りて永遠の生命を得んと欲するの要求」のあらわれとしている。(p.175) 一般に現代人が宗教より科学に惹かれる傾向があることは、二十世紀の目まぐるしい科学の発達の中ですでに経験されている。しかし、宗教が科学で説明された後に道徳的退廃の世の中が来ると恐れるのは、根拠のない恐怖にすぎないと私は考える。宗教が科学によって完全に説明された時、われわれは改めて宗教がなぜ人間の進化と共に存在し、宗教の何が人間にとって必要なものなのかを明らかにするであろう。その時、「内なる神」は「外なる神」の支配から脱出できるだろう。その時、宗教と道徳は荒廃するのでなく、逆に新たな、より人間を中心とした宗教と倫理が提示されるであろう。(p.245)

Posted by ブクログ

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