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住み家殺人事件 建築論ノート
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房/ |
発売年月日 | 2004/08/10 |
JAN | 9784622070894 |
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住み家殺人事件
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住み家殺人事件
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朱天心の「古都」を読んだ後に心に沸いたことがある。それは、風景こそ心の、そして記憶の、拠り所ではないかということだった。その風景が失われていくことと自分のアイデンティティというか人間性みたいなものが失われていくことに、どこか繋がりがあるように思ったのだ。恐らくそれは自分のオリジナ...
朱天心の「古都」を読んだ後に心に沸いたことがある。それは、風景こそ心の、そして記憶の、拠り所ではないかということだった。その風景が失われていくことと自分のアイデンティティというか人間性みたいなものが失われていくことに、どこか繋がりがあるように思ったのだ。恐らくそれは自分のオリジナルな発送ではなくて、思えば「くるーりくるくる」の中で松山巖が既にそのようなことに目を向けていたのを受け売りしたのかも知れないのだが、この告発の書とでもいう「住み家殺人事件」の中で、自分の中でぼんやりと浮かんでいた考えが、今度はストレートにどんどん先へ押し進められるのを感じた。我々は、終の住処を失っているのではないだろうかという自分の疑問は、松山巖によって明確な答えを与えられてしまった気がする。 松山巖は建築家である。その建築家が、都市に象徴される建造物の歴史を概観しながら、建築家の意味を問い直す。その声の調子はもっぱら否定的に響く。哲学者、建築家、文筆家などの言葉を取り上げながら、建築が持ち得た意味を読み解き、その結果である現代の街の在り方について、だめを出す。歴史の中で失って来た人間の感性についても言及する。そのほとんどは、問いかけである。 松山巖の向かおうとしている先についてのイメージは、実際にはほんの少ししか示されることはない。しかし、松山巖自身が建築家であることに対する大きな責務を感じていることは、切実に伝わってくる。であればこそ、最後に「そして私達はふたたび地図を描く」と書く。その言葉は、決して否定的な、あるいは自虐的なニュアンスを帯びていない。むしろ、それは決然とした宣言のようなものである。自らの中にのみ存在する理想型と、現在の状況の余りの乖離に半ば愕然となりながらも、少しずつ誤った道のりを正していこうとする決心のようなものである。 宮崎駿と養老孟司の対談集「虫眼とアニ眼」という本に、宮崎駿が示す理想の町のスケッチがある。それはある意味で、かつての日本の風景に溶け込んだ町である。しかし、それは未だかつてどこにも存在したことのない町だ。松山巖の抱く理想の街のイメージは、宮崎駿のスケッチよりも更にスケールの大きなものだが、そこに取り込まれている町のイメージは、宮崎駿のスケッチと大きくちがっていないだろうと想像できる。もちろん、松山巖も、宮崎駿も(そしてその構想に参加している荒川修作も)、それが今すぐ現実になり得るとは思っていない。 できるかどうかは、ある意味で問題ではない。恐らく松山巖が示したいものは、その理想型の現実度ということではないだろう。むしろ、非現実的であるとさえ見えるものに対する対する我々の心の持ちようが問われている。必要なのは我々が想像する力を失わないことである。何かを自分で考えつづけることを止めないことである。であればこそ、松山巖は、自らの言明を疑問形にして示してみせる。その答えは、疑問に対して思考を働かせているものに取っては明らかだが、自分達の周りにある現実の答えとは大きく異なっていることにも気付かされる。 荒川修作といえば、養老天命反転地、な訳だけれど、やっぱり何かを作り出して見せるということは、考える力の結果でもあり、そして原因にもなり得なければならないのだと思う。松山巖が批判している現代の建築の流れには、結果はあるけれど、次の思考の原因となれる要素がない、ということなんじゃないだろうか。一方、荒川修作の養老天命反転地には、なにこれ、や、なぜ、がふんだんにある。そういうものは元来自然の中にたくさんあった筈のものだろう。そんな角度で創造ということを眺めると、宮崎駿の映画にも、一つの答えしかない許さない問いにはない奥行きがあるのだな、と改めて思う。ジブリ美術館といい、荒川修作の三鷹天命反転住宅といい、動き出そうとしている人は動いている。 「くるーりくるくる」で、やんわりと示されていたものが、この「住み家殺人事件」では、徹底した考察の下にほとんど逃れようのない結論として示されている。その結論を理解した上で自分達が何を選択するか、そのことすら問われていることに気付くと、自分の棲み家をどのように具現化するかに、まさにその問題に対する態度が現れてしまうのだということを理解しないわけにはいかない。その時、自分は何を選択するのか。それはとても重い問題である。
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