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八重山の台湾人 やいま文庫8
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 南山舎 |
発売年月日 | 2004/07/12 |
JAN | 9784901427135 |
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八重山の台湾人
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石垣島や西表島などに日本統治時代、戦争直後等に移民・密航してきた人々のお話。日本の本土側に移民し、何らかの物語が残っているような政治や商売で著名になった人々と比べると本当に普通の人が仕事を求めてきてたまたま八重山列島に住み着いたようだ。 沖縄の台湾人について描いたドキュメンタリ、「海の彼方」や「緑の監獄」も見たが、沖縄のパイナップルが台中南部から来た人々が持ち込んだものという話には驚いた。 結局、戦後になってから台湾語をしゃべるといじめられるような雰囲気があり、その子々孫々はほぼ台湾語もできないようになってしまったというのはとてももったいないが、しょうがないことなのかもしれない。ブラジルに移民した日本人のように、大変な生活を強いられた中で真面目にコツコツ頑張っていたことが伺えた。 P.36 「六月廿日」というのは、一九四一(昭和一六)年のその日を示しているのだろうか。この日、長谷川総督の予告通り、「台湾ニ志願兵制ヲ施行ノ件」が閣議決定された。この閣議決定は、台湾人を対象に陸軍の志願兵制度をスタートさせることを決めたもので、植民地支配下の台湾人と兵役をめぐる年表のなかで大きな節目である。 徴兵であり、志願であれ、日本軍の兵士として台湾人に銃を持たせることについては、日本軍はそれまで消極的な態度を取ってきた。植民地住民を対象にした志願兵制度「陸軍特別志願兵令」が一九三八(昭和一三)年一月に閣議決定されたものの、台湾には適応されていない。原住民(先住民)以外の台湾人は大陸の復権や広東に祖先を持っており、大陸の中国兵と意思の疎通を図ることができる。日本軍は、台湾人兵士が敵軍と謀って寝返るのではないかという疑念を捨てきれなかったのだろう。台湾人には「祖国」に銃を向けることに対する抵抗感もあった。 P.104 廖見福の長男、秋雄は日本植民地化の台湾で産まれたあと、七歳になったばかりの一九三七(昭和一二)年に石垣に渡った。そのまま台湾に一度も帰ったことがなく、「台湾や中国のこおとはよくわからない」。事情を飲み込めないままに外国人登録の義務を負う羽目になった。それに、戦時中には、米英の宰相に見立てた人形に切り込む訓練に参加するなど、日本人として受け教育がしっかり染み込んでしまっている。「今頃、外国人扱いされても・・・」。とまどいは大きかった。 P.105(王美燕) 美燕は、二年生の三学期に石垣小学校へ転校する。一九六四(昭和三十九)年一月のことだ。名蔵小学校に通っていたころは、周囲にたくさんいた台湾人の友だちも、石垣小学校ではほとんどいなくなり、台湾人の児童は美燕だけといってもいいような状態になった。これが日本語への傾倒、台湾語への忌避を決定的にしていく。「差別がなければ、多分私なんかも台湾の言葉をずっと話していたんじゃないかと思う。言葉がいやで、結局、話さなくなった。敢えて使わないようにした」というのだ。 P.119 四家族の改名をみていくと、台湾的な氏名の一部を残し、それを違和感なく生かすことによって、日本的な名前に改めていったことが分かる。日本国籍を取得したからといって、台湾人であることをやめてしまうわけではないのだ。 「日本的な名前のなかに台湾名の印を残す」というのは、日本国籍を取得した台湾人たちの行動パターンとしてしばしば語られる解釈だが、私は取材を進めていくうちに、それだけではないのではないかと感じ始めた。台湾人たちが新しい名前に織り込んだ気持ちを言い尽くすには、この解釈だけでは足りないような気がする。 言い尽くせていない気持ちというのは、「開祖」としての気負いとか、身の引き締まる思いとでも呼べばいいような気持ちだ。 生まれた土地を離れ、移住先の国籍を取り、新たな土地に定受することを決意した人間の意気込みといってもいい。
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