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外国銀行と日本 在日外銀一四〇年の興亡
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外国銀行と日本 在日外銀一四〇年の興亡

立脇和夫(著者)

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外国銀行と日本 在日外銀一四〇年の興亡

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 蒼天社出版/
発売年月日 2004/06/30
JAN 9784901916035

外国銀行と日本

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2013/01/03
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 幕末の開国以後から、現在に至るまでの外国銀行と日本国との関わりをまとめた本。  著者は、外銀は、日本経済に少なからずの貢献をしたと説く: ・「わが国の金融機関の近代化」(P.309)を担い、 ・「幕末維新期及び戦後占領期においてわが国の対外決済機能を」(P.310)も担っていた。 ・また、「わが国の外資導入に貢献した」(P.310)。 ・そして、「本国政府を通じて日本に対する市場開放への外圧を高め、金融自由化を促進した」 からだ。  この本のポイントは、日本国が、戦前は英国の金融的植民地であり、戦後は、それが米国に移ったということだ。そして、70~80年代には欧州勢の進出によって、マネーフローが複雑化したという点だ。  そもそも、幕府は仏国(La Société Générale)、倒幕派は英国にファイナンスを受けていたわけだが、その後、明治政府には英国がファイナンスをするようになった。  日本に初期に進出した銀行は、セントラル銀行、マーカンタイル銀行、東洋銀行、そして香港上海銀行といった英系植民地銀行だった。そのうちの一つ、東洋銀行は、最初期の借款への協力だけでなく、造幣へ大きな協力をした。これは、日本への英国からの大きな影響を示しているのではないか(植民地銀行は、国営である)。 「明治維新後、新政府が大坂[…]に建設した造幣寮[…]は、[…]その過程で東洋銀行が極めて大きな役割を果たした。」(P.52) 「日本政府が買い入れた造幣機会は、英国が香港で建設し、数年後閉鎖されたものだった。」(P.53) 「造幣技術は皆無であったので、政府は欧州から技師・職工を招聘する[…]。外国人職員は若干の例外を除いて、東洋銀行の雇い入れであり、日本政府の直接雇い入れではなかった」(PP.56-7)  なお、米国が条約下において米系銀行が日本に来なかった事については、以下の理由をあげている: 「①米国の日本開国の狙いが、通商よりも捕鯨船や商船の寄港地を確保することにあったこと。 ②米国経済の発展が未成熟で、海外投資に積極的でなかったこと。 ③日本の開港の直後、南北戦争が勃発し、海外進出に意欲を失ったこと。 ④米国の銀行北条、国法銀行の海外支店設置が認められていなかったこと。」(P.24) もっとも、 「バンク・オブ・カリフォルニアは特筆に値する。[…]新政府は、幕末の金純分三文以下の二分判金五〇〇〇万両をバンク・オブ・カリフォルニアへ送り、同行で精錬のうえ、純分九分の金塊として返還を受ける契約を結んだ。」(P.191) や、借款の依頼もあった。  しかし、横浜正金銀行の活躍、第一次世界大戦による債務国から債権国への変化もあり、状況は多少変化していた。  戦後占領期には、連合国最高司令官(SCAP)、事実上、米国の管理下に入った(この詳細は、「GHQ日本占領史1」参照) 。 「対外関係においてはSCAPが交渉・契約上の当事者となったが、[…]経済関係においても同様であった。」(P.134) 「日本は対外決済のために必要な一切のもの、外貨も為替取引も、為替銀行もすべて剥奪された」(P.136) 「米国から[…]各種借款が供与され、これによって工業原材料の輸入が可能になり、日本経済の復興に大きく貢献するところとなった。」(P.141) 「SCAPから「ガリオア・エロア資金による輸入に対する見返円資金に関する覚書」が発表され、「対日援助見返資金特別勘定」を設けて、米国が日本供与した援助物資(ドル建価格)の円相当額を当該勘定に積立てることとなった」(P.144) 「戦後日本はすべてがSCAPの管理下におかれたため、日本における外銀の業務再開のためにはSCAPのライセンスが必要とされた。」(P.153)  1970年代になると状況が変わってくる。 「一九七〇年代には、欧州系銀行が市場に参入したため、米系銀行のシェアは七〇年代末には半減した(八〇年には邦銀も参入)。」(PP.209-10) 「八〇年一一月までに認可された邦銀扱いインパクト・ローンの貸出通貨を見ると、スイス・フランが七四・五%で抜群に高」い。(P.212) 「在日外銀の営業資金の主な原資は在外資金、なかんずくユーロダラーである」(P.222) 「ほとんどの外銀は、ロンドンを中心とするユーロ市場でユーロダラーを取り入れて日本へ回金し、外貨のまま、あるいは円転の後、日本の商社やメーカーなど大企業へ融資していた。」(P.224) そして、バブル等を通して、現在に続いていく。

Posted by ブクログ

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