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失楽園(下) 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 1981/02/01 |
JAN | 9784003220634 |
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失楽園(下)
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商品レビュー
4.2
17件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
下巻はアダムとイーヴが物語の中心です。 『旧約聖書・創世記』にある「禁断の木の実」を口にして神に背く短い記述が、ミルトンの筆によって壮大な叙事詩として見事に甦っています。 あたかもサタンの罪と苦悩を受け継いだかのような、アダムの苦悩と絶望の心理描写が秀逸です。 ミルトンによる『失楽園』の最大の魅力の一つは、このサタンやアダムを通して表現される、苦しみの内面描写だと思います。 このような苦悩や絶望を踏まえた上でどう生きてゆくか、それを考える事にこそ『失楽園』を紐解く意義があると思うのです。 単なる娯楽よりも深い目的で『失楽園』を読もうとすれば、どうしてもある種の苦しみを感じてしまうかもしれません。 サタンやアダムに感情移入して、その苦悩を疑似体験するような形で。 しかし、苦しみ以上の喜びや楽しみも又『失楽園』には含まれていると思うのです。 結末の、失われた幸福と一縷の望みとを思って楽園を旅立ってゆくアダムとイーヴの姿は、幸福とも不幸とも解釈出来るような、出来ないような。 言わば、等身大の人間の姿が描かれています。 結びのアダムとイーヴについて、平井正穂氏の訳注から一部抜粋。 「漂泊者(或いは旅人)としての人間の道を二人は辿ろうとする。しかし、それはあてのない漂泊ではない。楽園喪失の人間的な悲しみ、寂しさはあるかもしれないが、同時に摂理を信ずる者の喜び(というより希望)もひめられていたはずである。」 (『失楽園』(下) 訳注P.419)
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蛇に化けたサタンに騙され、禁断の果実を悲嘆にくれる2人にミカエルが救われる方法を提示する。 アダムの子孫たちの未来を示し、イエスの出現によって救われる未来を伝える。 楽園追放されたされても、なお神は2人を愛していたのだということが示されていて、素敵だった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
上巻が自意識過剰なサタンの視点で語られた部分が多かったのに対して、下巻ではとうとう禁断の木の実を食べ、楽園を追われるアダムとイーヴの話が主となる。 まあ、当然ですが。 前半は頭がキーンとなりそうなくらい美々しく麗々しく甘々な愛の言葉を交わすアダムとイーヴですが、でも、二人は対等なわけではありません。 あくまでもアダムが主で、イーヴは彼の言うことを聞いていればいいのだよ、という、優しい拘束が隷属が二人の間にあります。 だからイーヴは、二人別々の時間を過ごしましょうと提案するのです。 どうせ夜は一緒に過ごすのだから、昼間はそれぞれに自分の仕事をしましょう、と。 当然アダムは反対します。 サタンが二人を堕落させるために楽園を目指していることを天使から聞いて知っていたアダムは、イーヴが一人でいたら、絶対にサタンに狙われるだろうから、自分のそばを離れないほうがいい、と。 イーヴは、サタンともあろう人(?)が、神に反乱するために自分ごときを狙いますか。あなたを倒してこその反乱になるのではないでしょうかと反論し、さらに、常に一緒にいなくてはならないのであれば、私はあばら骨のままでいればよかったのではないでしょうかとまで言い切ります。 アダムのあばら骨から作られたというイーヴ。 その言い分に全く落ち度はないと私は思いますが、さすがにサタンは正々堂々とした手段をとらないのでね。 イーヴから狙うわけです。 イーヴが禁断の木の実を食べてしまったことを知ったアダムは、共に神の罰を受けようと木の実を食べるのですが、その直後から襲い来る後悔。 見苦しいほどに互いを責め合うアダムとイーヴ。 まさに人間の祖。 最終的にアダムはミカエルにこの先の人類の姿をみせられ、ある種納得して楽園を去ります。 この先の人類、カインとアベルとか、バベルの塔とか、ノアの箱舟とか、ダビデ、ソロモン、モーセ、そしてイエス。 もうそこまで先が決まっているなら、私たちはアダムのあばら骨のままでよかったのでは? っていうか、そこまで先が決まっているのなら、何のために最後の審判をするの? もう結果はわかっているのでは? と、無神論者の私は思ってしまうので、一度キリスト教の人に解説してもらいたいものです。 ところで、上手いことイーヴをだまくらかしたサタンは、意気揚々と地獄に帰っていくのです。 さぞ仲間たちから称賛の声で迎えられるだろうと。 サタン…やっぱり中二だな。 で、地獄の方たちはみんな蛇に姿を変えられて、「ぎゃ~!」ならぬ「シャーッ」ってなります。 なんか最後の小物感がハンパなくて笑っちゃう。 これ、愛すべきサタンの物語じゃないよね。
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