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死の骨董 青山二郎と小林秀雄 以文叢書7
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死の骨董 青山二郎と小林秀雄 以文叢書7

永原孝道(著者)

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死の骨董 青山二郎と小林秀雄 以文叢書7

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 以文社/
発売年月日 2003/04/20
JAN 9784753102259

死の骨董

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2013/03/10
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白州正子が精神的な双子と評した小林秀雄と青山二郎は骨董と文章で互いに師弟関係にある友人であった。その二人が最後には袂を分かつことになる。二人にとって、骨董とは何だったのかを問うことでその理由を探る。こういうのを力業というのだろう。強引とも思えるアナロジー(類推)の方法を駆使して何かと何か、誰かと誰かを無理にでも重ね合わせてみることで、それまで見えなかったものが見えてくる。それにしても、今、何故小林秀雄であり、青山二郎なのだろうか。 骨董の世界は李朝に始まり李朝に終わるという。滅びた王朝に寄せる哀惜から柳宗悦が作り出したこの完璧な美の球体の中に青山は閉じこめられていた。限られた目利きとその信奉者による閉じられた世界、彼はそこからの脱出を試みる。半島に渡った彼は借りた金で師が愛した李朝陶磁を貨車一台分も買い集めるという行為を通して、李朝陶磁の脱神話化を成し遂げる。「直観だけが掴む美を持つ真なるものが厳存し、その持続的蓄積が伝統を形成する。小林が一時的にもせよ信じようとしたいかにも生産的なこの夢を、青山は信じない」。 加藤唐九郎をして「やろうと思えば何でもやれた天才なのにわざと何もしなかった男」と言わしめた青山二郎。何でもやれた天才である彼がわざとしなかったこととは何か。天才的な鑑賞眼を活かして、すぐれた手を持つ芸術家を創造し、まつりあげること。つまり骨董の「生産」である。青山にとって骨董とは「消費」するものであった。骨董という物を通して人と人とが出会い、別れることで「一期一会」の関係が発生する。骨董という「物」の交通が孕む「関係」にこそ意味があるのだ。生産(神話化)に対する消費(脱神話化)、停滞(所蔵、蓄積)に対する交通(売買、流動)。小林と青山の対立はモダン(プレ・モダン)とポスト・モダンの対立を予兆している。 戦時下、夭折した富永太郎や中原中也ら友人との「交通」をなくし、事実上の鎖国状態の中で彼の批評を支えていたヴァレリーやベルグソンを手放しながら、死ぬことのできない立場に置かれた小林は、自ら閉じた孤独の中で「異様に美しくとぎすまされていった言葉だけが残されている」存在と化してゆく。「歴史には死人だけしか現れてこない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ」と小林がいうとき、骨董は死者と重なる。骨董とは死者=過去を上手に思い出すための実践である。小林の骨董は死を結晶化させる道具なのだ。 小林にかかれば、バッハもゴッホも「死」の一点から読み込まれ、動じない美しい形を盛る器となる。セザンヌがモネを評して言った言葉「モネは目だ。それにしても何たる目であることか」が、小林にかかると「モネは素晴らしい眼だが、眼にすぎない」ということになる。小林にとっての芸術とは死を斫断し、常ならぬこの世の中に動じぬ美を映し出すものでなければならなかった。しかし、青山にとって芸術とは常に動くこの世にあって生きる人の目を喜ばせるものであった。小林秀雄と青山二郎が袂を分かたねばならなかった理由はそこにある。 筆者があえて使わなかったのであろう手垢のついた譬えを持ち出せば、小林はパラノであり、青山はスキゾである。互いに強い影響を与えあった二人だが、死者を介し、求道的な芸術家像を求める小林と、嬉々として焼き物や絵で遊ぶうちに生涯を終えた青山とでは、はじめから生きる上での平面がずれている。いや、互いの存在が必要以上にずれを大きくしていったのかもしれない。二人は「眼」を共有しながら頭や胸は別というシャム双生児のようなもので、それぞれが各々の生を生きようとするなら、切り離されなければならない運命であった。 「青山二郎の散文の多くは、彼の装幀と同じく見立てと取り合わせによって構成されている」と、永原は書くが、戦時下の小林を普仏戦争時のランボオをに見立て、『無常といふ事』と『地獄の季節』を取り合わせ、実朝にランボオを、死から生還したドストエフスキーに、夭折し損ねた小林を見立てた彼のこの評論こそ「見立てと取り合わせによって」構成された作品そのものにほかならない。今この時代に小林秀雄を召還した筆者の現代という時代に寄せる苛立ちのようなものに共感できるかどうかが、筆者の「見立てと取り合わせ」に対する評価が分かれるところだろう。

Posted by ブクログ

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