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夢追いて卑弥呼
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夢追いて卑弥呼

虎尾幹司(著者)

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夢追いて卑弥呼

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 東洋出版/
発売年月日 2003/10/21
JAN 9784809674549

夢追いて卑弥呼

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2011/10/09

卑弥呼の小説というのは意外とあるものである。しかし、いままで満足したことがない。同じ時代を描いた三国志の時代小説は傑作が山ほどあるのに、である。これはひとえに、あまりにも文字資料が無いから、小説家が勉強不足で書けないからである。そういう意味では、おそらく自費出版に近いこの著者の本...

卑弥呼の小説というのは意外とあるものである。しかし、いままで満足したことがない。同じ時代を描いた三国志の時代小説は傑作が山ほどあるのに、である。これはひとえに、あまりにも文字資料が無いから、小説家が勉強不足で書けないからである。そういう意味では、おそらく自費出版に近いこの著者の本は良く勉強している。 九州島に秋が来て、重く頭をたれた邪馬国の稲の穂首刈りが終わった。米、栗、魚や肉の干物や燻製などが国中の者に平等に配分され、人々は例年にも増す糧を手にすることが出来た。 また、国を挙げて大干ばつを乗り切った邪馬国では、国としての意識が共有され、運命共同体としての一体感が生まれた。 そして、竜神を呼び雨を降らせた日輪の化身、卑弥呼と、神のごとき判断をもって作物の命を繋いだ保思御子の二人が揃う邪馬国は、近隣の国から羨望のまなざしをもって神の住む国といわれるようになった。 九州島でもやはり冬は寒い。人々は貫頭衣の上に毛皮をまとうなどして体温を保つ工夫をしていたが、足は霜を踏む日も素足であった。 湿地に作った沼地や深田に入るための田下駄、水下駄、祭りに巫女たちがはいていたような木靴はあったが、日常的な履物はなかった。 選ばれた男達であっても、休まずにこぎ続けるというわけにはいかない。こぎ手は三人ほどで一組を作り、交代してこいだ。 二十丁の櫂がつくる六ノット(一ノットは1.852キロ)に近い船足は、天草灘に出ると潮の流れにのって七ノットほどに達し、明るい間だけの航海のもかかわらず、風も味方して1日に二百四十里ほども進んだ。 ところどころに、現代的な言葉使いや名詞がでるのは愛嬌だとしても考古学的な成果を良く生かした小説になっている。 どうやら、邪馬台国は吉野ヶ里にあったという説をとっているらしい。卑弥呼もほとんどスーパーマンになっている。それはそれでいい。小説なのだから。しかし、この人は自衛隊勤務を経て、現在星槎グループ本部長らしい。なるほど考え方がいかにも軍人である。 邪馬台国の宿敵として狗奴国が出てくるのであるが、著者の頭の中は小さい国が侵略を繰り返して大きい国になろうとするのは、非常に抽象的な自明のことだと思っているらしい。(「倭の統一は当初に過ぎぬ。その上にあるは、万民の万世の幸という志じゃ」「よいか、大の虫を生かすには、小の虫を殺さねばならぬこともある」)だから、話が動き出すと、ほとんど戦争の話に終始してしまう。それに対して、日輪の神、卑弥呼は「心を耕す」等のわけの分からない現代的な宗教の考え方を持ってきて、その宗教的権威で「倭」を統一するのである。アマテラスの祖先の天皇の権威で国を統一しようとしていた現代保守主義の思想がそのまま持ち込まれている。 弥生時代は日本史上初めて戦争を始めた時代なのである。組織的に人を殺すことに、彼等は新鮮な発見があったはずだ。卑弥呼はなんと洛陽まで旅をしているが、そこでは徹底的な戦争の技術があった。しかし、日本列島ではついには中国のような皆殺しに近い戦争は起きなかった。それは何なのか。それをやっぱり描くべきではないのか。 結局この本も満足しないで終わった。いいところまでいったんだけどなあ。

Posted by ブクログ

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