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絵画と現代思想
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新書館/ |
発売年月日 | 2003/11/15 |
JAN | 9784403120145 |
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絵画と現代思想
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著者は、序論で、自己の観念的な世界に留まり、独善的な解釈でしか絵画を見ようとしない所謂近代以前の「思想家」と著者のいう「現代思想」とを区別する。そして、現代思想の一つの特徴として「観念の世界を相対化し、その外へ、感覚の世界へ飛び立ってゆこうとするもの」をあげる。それは、たとえば、...
著者は、序論で、自己の観念的な世界に留まり、独善的な解釈でしか絵画を見ようとしない所謂近代以前の「思想家」と著者のいう「現代思想」とを区別する。そして、現代思想の一つの特徴として「観念の世界を相対化し、その外へ、感覚の世界へ飛び立ってゆこうとするもの」をあげる。それは、たとえば、ニーチェの言う「善悪の彼岸」、バタイユの「非-知」の世界を指し、西欧的近代が絶対視した理性的な自我を批判しつつ、感覚界の対象を肉体的に体感することをめざすものである。しかし、当然のことながら、思想家の言葉は直感的な見解であり、実証的でない分、生き生きとしてはいるが、説得力に乏しくならざるをえない。 絵画、特に印象派以前の絵画を見るのに、図像解釈学を用いるのは今では常識と化している。画家の描いた動物や植物が、そのものを表現しているのでなく、百合なら「貞節」、狐なら「狡知」等の寓意的表現だからである。しかし、その一方で、すぐれた画家であればあるほど自分の見た感覚的特性を絵の中に盛り込まずにはいられない。そこで、絵の中には、観念的な側面と感覚的な側面が共存することになる。その結果、慈愛の画像たるべき聖母の顔が不気味な表情を浮かべるという異様な事態が出来するのである。 「現代思想の推進者たちの直感的な言葉が光彩を放つのは、この時なのだ。図像の矛盾、観念界との画家の乖離、感覚界への画家の執着の在りようを問おうとするとき、芸術とのコミュニケーション体験に根ざす彼らの言葉は光に見えてくるのだ」。著者の意図はここにつきる。絵画の露呈した矛盾、乖離、執着といった、いわば、絵画の存在の様態が、安穏な見方を拒否するようなあらわれを見せるとき、現代思想の推進者である、バタイユやニーチェの言葉を手がかりにしながら、より実証的な手順を踏んで、画家の描こうとしたもの、思想家のつかみ取ったもの、あるいは、描き損ね、掴み損ねたものを明らかにしようという試みである。 採り上げられている画家と思想家の組み合わせは、以下の通り。まず、ルネッサンス絵画について、レオナルドとニーチェ。次にホルバインとフロイトというコンビで「死の遠近法」を、次いでゴヤとバタイユ、ゴッホとフーコー、カンディンスキーとコジェーブ、トゥオンブリとバルトというなかなかに興味深い顔合わせになっている。必ずしも、見出しに挙げた名前の思想家が前面に出ているという訳ではないが、著者の専門がバタイユということもあって、ことバタイユについては、多くの章で言及されている。 ロンドンのテートギャラリーで見たレオナルドの描いた天使が心に強い印象を持って記憶に残っている。今まで見た数多くの絵画の中でも、最も美しいとさえ思える顔であるのに、美しいにはちがいないが、この世のものとも天上の物ともつかぬ異様な微笑みのせいか、素直に共感できないのだ。どこにその理由があるのか、長い間気になっていた。その秘密が、著者の読解で、すこし分かりかけたような気がした。しかし、そのすべてに共感したとまでは言えない。 専門がバタイユということもあるのだろうが、ゴヤやゴッホのように、どちらかと言えば、ディオニッソス的な絵画についての読解は共感できるものが多い。しかし、レオナルドのようなルネッサンスの幕を開けた天才も、著者の手にかかると挫折した敗北者とされてしまう。その解釈をどうとるかは、読み手であるこちらにかかっていると言ってもよい。そういう意味では、刺激に満ちた清新な論考と言えるだろう。
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