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徳川慶喜家にようこそ わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔 文春文庫
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徳川慶喜家にようこそ わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔 文春文庫

徳川慶朝(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋/
発売年月日 2003/09/10
JAN 9784167656805

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商品レビュー

3.1

14件のお客様レビュー

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2010/05/28

徳川慶喜直系の曽孫で…

徳川慶喜直系の曽孫である著者が描く徳川家の秘密とは。エッセイ。

文庫OFF

2021/10/04

この本は、1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』が発表された頃に執筆を依頼されたものだという。 司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』が原作で、本木雅弘さんの主演。 今年の大河『青天を衝け』でも、渋沢栄一とともにダブル主人公の徳川慶喜。 自宅の本の整理をしていたら出て来たので(恥ずかしな...

この本は、1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』が発表された頃に執筆を依頼されたものだという。 司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』が原作で、本木雅弘さんの主演。 今年の大河『青天を衝け』でも、渋沢栄一とともにダブル主人公の徳川慶喜。 自宅の本の整理をしていたら出て来たので(恥ずかしながら積読)読んでみました。 欲のないお人柄は、育ちの良さを感じさせます。 凝り性なところは、慶喜公と似ているかもしれない、と自己分析。 明治維新で、将軍家は新政府に財産のほとんどを召し上げられ没落。 その後公爵になるけれども、第二次大戦後、高すぎる税金を課されて屋敷を手放し、その後はマンション暮らし、と、徳川慶喜家の2度の没落を淡々と語ります。 母上は、会津若松家の出身で、松平容保の孫ですが、慶朝さんを「絶対に殿さまとか若さまにはならない様に躾けたつもり」と言っていたそう。 ・歴史の話はしたくなかった、と言う。 大政奉還をしたこと、鳥羽伏見から逃げる様に江戸に帰って来たことなどに対し、さまざまな解釈がされている。 いくら直系の曾孫であっても、慶喜本人がその時どんな気持ちだったかは知る由もない。 後半生では、言いたいものには言わせておけと言うのが心境だったのではないか。 あとから何か言っても過去が覆るわけでもないし。 ・ただ、家にある資料の扱いには悩んだ。 旧家と言われる中には、家に伝わる文書などを決して公開せず秘匿しているところも多いが、そうはしたくないと思った。 ・松戸市にある戸定(とじょう)歴史館に保存をお願いすることにした。 ・数年前から、慶喜ゆかりの場所を写真に収めておきたいと思う様になった。 江戸城を出ずに一生を終えた将軍もいたが、慶喜は激動の人生だったので、ゆかりの場所も多い。 江戸城には、鳥羽伏見から帰って1か月住んだだけ。 しかし、東京をはじめ、どこも景色が変わりすぎ、写真に撮れるところがほとんどないのが残念だった。 『徳川』という名刺を出すと、「あの、徳川さん・・・?」と決まって言われた。 得をした事もそれが足枷になったこともあったかもしれない、と語る。 その一つ・・・ ・ストレスを感じると、ボーッとしたくなる。 温泉でのんびりしようと旅館に予約を入れたら、オーナーが渋沢栄一とゆかりの深い人で、中居さんつきっきりの歓待を受け、のんびりするどころではなかった。 今の大河ドラマを見ていると、さもありなん、と頷いてしまうエピソードである。 私個人としては、徳川慶喜は「江戸幕府を終わらせた人」ではなく「江戸から明治へとバトンをつないだ人」と思える様になってきた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 德川慶朝(とくがわ よしとも) 德川15代将軍・慶喜の直系の曾孫。 広告制作会社でカメラマンとして20年務めた後、フリーの写真家に。 その後、郊外での暮らしを楽しみ、コーヒー豆の焙煎に凝るうち「德川将軍珈琲」を作った人でもある。 2017年に67歳で亡くなっています。

Posted by ブクログ

2021/03/06

お孫さんの榊原喜佐子さんの「徳川慶喜家の子供部屋」に引き続き、読んでみた。こちらは曾孫である。お孫さんは大正10年生まれ、こちら慶朝氏は昭和25年生まれ。生育環境は天地の差がある。喜佐子さんは3000坪の敷地に1000坪の屋敷で育ったが、慶朝氏はそうではない。 環境の差の原因は...

お孫さんの榊原喜佐子さんの「徳川慶喜家の子供部屋」に引き続き、読んでみた。こちらは曾孫である。お孫さんは大正10年生まれ、こちら慶朝氏は昭和25年生まれ。生育環境は天地の差がある。喜佐子さんは3000坪の敷地に1000坪の屋敷で育ったが、慶朝氏はそうではない。 環境の差の原因は戦後の華族令廃止である。 慶喜、慶久、慶光、慶朝と続く徳川慶喜家4代。この本で語られる肉親ならではの断片。特に著者の父の慶光氏は一生のうちで慶喜ほどではないにせよ環境が激変したのではないか。 3代慶光氏は大正2年~平成5年没。華族から平民へ。戦前は華族として宮内省へ勤めるが、戦争では二等兵として中国大陸に赴く。復員すると華族令廃止で財産税を払うため3000坪の家屋敷は物納。静岡に行くもまた東京高輪の借家へ。そして町田市で敷地60坪の建売住宅を買いようやく自分の家を持った。子の慶朝氏は、この時父は60歳になっていたが(1973頃か)、ようやく長い戦後が終わったのではないかと書いている。 2代の慶久氏は明治17年生まれ大正11年に42歳で没。長生きすれば戦争の転変も経験したが、それを経験することなく身分的には安定して終えたのではないか。 著者の4代慶朝氏は静岡で生まれるもすぐに東京へ。父親の転変をみながら、プロのカメラマンへ。慶喜のカメラ好きを引いているかと書いている。 また慶喜のカメラと撮った写真はずっと押入れにあったが誰も気に留めていず、慶朝氏はカメラマンゆえ改めて見て、昭和61年に「将軍が撮った明治」というタイトルで出版。また徳川斉昭から慶喜宛の手紙125通も保管されていた。散逸していた「家扶日記」とともに松戸市の戸定歴史博物館に収蔵されているという。 巻頭に慶喜の側室・新村信と中根幸の写真がある。慶喜は側室のうちこの二人を静岡に連れて行った。新村新は2代慶久の母。 平成10年(1998)大河ドラマ「徳川慶喜」が始まるというので、編集者から「慶喜家の歴史や、慶朝さんの生活を書いてもらえないか」という企画に応じて書いたものという。「徳川慶喜家の子供部屋」の著者、榊原喜佐子さんは慶朝氏の叔母になる。 検索では慶朝氏は平成29年(2017)に亡くなったようだ。 「プレジデント」2018.11.2018.11.17日号 https://president.jp/articles/-/1021 「徳川将軍コーヒー」(プレジデント) https://president.jp/articles/-/23273 「Saza Coffee」 https://saza.co.jp/goods/shougun.php 「戸定歴史館」松戸市 慶喜の弟昭武の私邸と慶喜、昭武関係資料を保存展示。 https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/ 「徳川記念財団」渋谷区 徳川宗家の資料を保存展示。 http://www.tokugawa.ne.jp/ 「徳川ミュージアム」水戸市 水戸徳川家の資料の保存展示 http://www.tokugawa.gr.jp/ 「徳川黎明会」本部:豊島区目白 尾張徳川家の資料 http://www.tokugawa.or.jp/   「徳川美術館」名古屋市 徳川黎明会が運営 https://www.tokugawa-art-museum.jp/   「徳川林政史研究所」豊島区目白 徳川黎明会が運営 資料の閲覧ができる http://www.tokugawa.or.jp/institute/index.htm 単行本 1997.10.29第1刷 図書館

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