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道徳形而上学原論 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 2002/12/16 |
JAN | 9784003362518 |
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道徳形而上学原論
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商品レビュー
4.6
9件のお客様レビュー
本書は、カントの主作…
本書は、カントの主作の一つ、『実践理性批判』の前に書かれており、その序論的な位置づけの書です。善と悪、自由意志、義務、人格と人間性など倫理学の根本問題を簡潔平易に述べております。よって、『実践理性批判』を読まれる前に読んでおくのがいいでしょう。
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カントというひとはもっと固いひとだと思っていて、なかなか、その主たる著作に手が出せないでいた。ところが、それは大きな勘違いで、このひとは、「知る」ということにかけて、ほんとうに情熱をもっていたひとなのだと感じた。 彼の一番の関心は、「わかる」ということ。これはいったいどういうこと...
カントというひとはもっと固いひとだと思っていて、なかなか、その主たる著作に手が出せないでいた。ところが、それは大きな勘違いで、このひとは、「知る」ということにかけて、ほんとうに情熱をもっていたひとなのだと感じた。 彼の一番の関心は、「わかる」ということ。これはいったいどういうことなのか、そこに尽きる。なぜわかるのか、わかった状態というのは、いったいどうなっているのか。彼はひとつずつ、そして確かなものを思考する。これが、彼の批判。ほんとうにわかる、ということは、時間や空間、そのほかの条件すべてを超えて、すべての考える存在に当てはまらなければ、ほんとうにわかるということにはならない。そのように考えると、どうしたってわかるということがア・プリオリに可能でなければならない。 この道徳というものは、そんな彼の原理のひとつの応用実践といったらいいだろうか。考えるということ自体がひとつの具体的実践の形をとる瞬間。道徳に関して、人間の意志を切り離し、ひとつの形而上学を打ち立てようとしたした点からもうかがえるが、ほんとうの道徳が、人間の意志に左右されるようでは、ほんとうの意味での道徳ではない。彼の定言的命法は、ただ条件をつけていないのではなく、どんな時でもどんな場合にでもあてはまるものを考えていたら、条件の付けようがなかったのである。条件の付けようがないものは、人間の意志ではなく、理性のひとつの形なので、ひとに強い命令と拘束を与える。なので義務の形をとる。 思ったからと言ってそれを実行しないのは本来的に、人間の意志と、思うという行為とが別系統のものであるからである。ここで注意しなければならないのは、わかったと頭では理解しているけれど、なかなか実行できない、ということとは根本的に違うということである。理性が求めるのは、条件なしの普遍的な「わかる」であるから、わかった時点で、行動に移せないということはそもそもありえないことなのである。カントに言わせてみれば、頭ではわかっているんだけど、というのは、ほんとうにわかっているとは言えないのである。 この本が原論たるところは、ここにある。道徳というものに対して、誰にでも・いつ・どんな場合にでも、という原則に基づくべきである。そうでなければほんとうの道徳ではない。カントが推し進めるべきだったことは、誰にでもあてはまるということはいったいどういうことなのか、そのことではないかと思う。誰にでもあてはまるはずのことが、なぜ、この「わたし」が考えているのか、なぜ、今このわたしがわかるのか。どうして考えているのが、誰でもない、この自分なのか。誰にでもあてはまるということは、存在しないということに他ならない。そういうものを原則として打ち立てるという時点で、仮言命法になってしまうのではないか。 存在するということが、存在しないことを前提にしなければ存在しえない。たぶんカントも知っていたに違いない。だからこそ、物自体やア・プリオリという表現をせざるを得なかったのだと思う。
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「理性は善意の宝石箱やぁ~」、とカントは言う。だが、親切は、ただの親切で、道徳的価値はないし、親切にしたいという欲求を満たしているだけだ、と。道徳的価値があるのは、「~すべし」という格律(マキシム)によって万人に普遍に共有される善意である。じゃあ、万人に価値があると善意はなにか?...
「理性は善意の宝石箱やぁ~」、とカントは言う。だが、親切は、ただの親切で、道徳的価値はないし、親切にしたいという欲求を満たしているだけだ、と。道徳的価値があるのは、「~すべし」という格律(マキシム)によって万人に普遍に共有される善意である。じゃあ、万人に価値があると善意はなにか? 人を奴隷のよう扱わないで、手段としてではなく目的としてみることである。あるいは、人間に無限の可能性をみて信じることだ。ただ、その話は、理性的存在者にだけ当てはまる。どこぞの白熱教室にいる人も理性的存在者ではないかもしれない皮肉。
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