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ミュージアムの思想
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 白水社 |
発売年月日 | 2003/12/24 |
JAN | 9784560038987 |
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ミュージアムの思想
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3件のお客様レビュー
いま、私たちが当たり前の存在としている博物館や美術館といった〈ミュージアム〉施設。その根幹をなすのは蒐集という行為を肯定する西洋の価値観である。植民地主義の不平等な蒐集取引を非難するだけの視点からは一歩先へ進み、神聖ローマ帝国の帝国理念を支えるものとして宮廷コレクションを位置付け...
いま、私たちが当たり前の存在としている博物館や美術館といった〈ミュージアム〉施設。その根幹をなすのは蒐集という行為を肯定する西洋の価値観である。植民地主義の不平等な蒐集取引を非難するだけの視点からは一歩先へ進み、神聖ローマ帝国の帝国理念を支えるものとして宮廷コレクションを位置付け、近代のミュージアムが隠し持つ西欧のイデオロギーをさらけだす。現在、文化財や天然記念物、世界遺産などの概念が"善いもの"として共有されている裏にある〈ミュージアムの思想〉を考える一冊。 私は美術館や博物館が好きだ。けれど前々から「アーカイブ」という言葉の持つ独善的な響きに、漠然と違和感をおぼえることはあった。そこには「価値のわからない人間から歴史的遺物を守ってやる」という、自己正当化の鎧を纏った自惚れやの姿がチラチラと見え隠れするからだ。 本書の著者ははっきりと「蒐集は『不等価交換』を原理として成り立つ行為」と定義づける。ならば、純粋なアーカイブというものは存在し得るのだろうか。神聖ローマの宮廷コレクションは絶対主義君主の威信を示すために捧げられ、啓蒙時代のイングランドでは科学の名の下に植民地からあらゆる動植物が蒐められ、時にその蒐集行為によって絶滅に追いこんだ。現在は世界遺産などのかたちでミュージアム思想に取りこまれたサンクチュアリが地球に点在する。エコロジーからSDGsまで、〈あるべき世界の姿〉とされているものがそもそも〈ヨーロッパの科学〉を基準にしていて、それこそが真の帝国主義なのだ、と指摘する。 刺激的な論考だった。中世の地方自治的な王から絶対君主の皇帝という概念が生まれでるときに威信装置として誕生したクンストカンマー/ヴンダーカンマーという〈コレクション〉が、時代が下るに従って「科学」や「教育」を掲げた〈ミュージアム〉になっていく過程を浚っているのでわかりやすく、説得力がある。社会学的な見方だけではなく、時にはボードリヤールまで引用して哲学的にも西洋における蒐集文化を掘り下げる。 「西欧では人文主義以来、蒐集行為は一度としてその価値が疑われたことはなかった」という指摘も、検討の余地はあると思うがイスラム圏・仏教圏との対比としては面白い。大航海時代の好奇心を善とする考え方の基盤もここにあるのだろう。たとえばかつてボルヘスは中国の古い百科事典の分類法を無秩序なものとして紹介したが、〈秩序だった分類法〉とは何か、〈善いコレクション〉とは何かということを問うことなしに、私たちは西欧の基準をそのまま受け入れてしまっているのかもしれない。 本書では直接触れられていないが、人文主義の古代ギリシャ憧憬は何度もリバイバルし、最終的にナチズムに利用された。ミュージアムという権威が開陳する美の基準は、無意識にまで作用してくる危険性がある。身近なだけに恐ろしい。
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蒐集が中世や近代未満の西欧における貴族的特権階級の所有であり、行為であったこと。権力が掌握する世界や世界観のカタログ化と、その誇示により、帝国覇権を強化・持続するシステムであったこと。 市民革命と国民国家成立の過程で、新たな市民による帝国~近代民主主義国家を示すものとしてのミュー...
蒐集が中世や近代未満の西欧における貴族的特権階級の所有であり、行為であったこと。権力が掌握する世界や世界観のカタログ化と、その誇示により、帝国覇権を強化・持続するシステムであったこと。 市民革命と国民国家成立の過程で、新たな市民による帝国~近代民主主義国家を示すものとしてのミュージアム。…などなど、昔から博物館や美術館に行くたびに感じた違和感を、歴史的観点からすっきりと解消してくれる本だった。 大変面白いので、世界史を勉強していた受験生の頃に読みたかった。
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ミュージアム。日本語に訳す場合、博物館とも、美術館とも訳すが、ほんとうはどちらが正しいのだろう。今まで、あまり考えたことがなかったが、実は、そこには意外に難しい問題があるらしい。梅棹忠夫と林家辰三郎の対談の引用から分かるのは、碩学二人にしてからが、東洋美術で有名なギメ・ミュージア...
ミュージアム。日本語に訳す場合、博物館とも、美術館とも訳すが、ほんとうはどちらが正しいのだろう。今まで、あまり考えたことがなかったが、実は、そこには意外に難しい問題があるらしい。梅棹忠夫と林家辰三郎の対談の引用から分かるのは、碩学二人にしてからが、東洋美術で有名なギメ・ミュージアムをギメ博物館と訳しておきながら、国立近代美術館については、「近代美術博物館」ではおかしいという理由で、その呼称を認めている。著者によれば、いかに日本語として落ち着かなくとも、「ミュージアム概念との厳密な対応においては、むしろその方が正しい」のである。 ミュージアム概念とは、伝統的には自然史ミュージアム(以下ミュージアム略)、科学、技術史、植物学、動物学、図書館、文書館、美術館、歴史博物館、歴史建造物、各種史跡を含み、近代では自然公園(国立公園、自然保護区)、スポーツ、考古学、人類学、少数民族保護区、各種科学センター、プラネタリウム、特定動植物保護領域、さらには「世界遺産」も含む。 西欧のミュージアムという概念は、「全世界を自己の裡に取り込み、世界を所有しようという一種暴力的な危険性を裡に秘めた概念である。いうなればそれは全世界を西欧の『世界システム』に組み込んでしまおうとする西欧イデオロギーである」。それに比べ、必要に応じて、美術館、博物館と、いわば一匹の魚でなく切り身をパックで買うように受け入れてきたのが、わが国のミュージアム受容であった。 ミュージアムには教養財や文化財が溢れ、そこに行けば知的な充足や精神的なやすらぎ、美的満足が得られるというイメージは、ミュージアムの思想が作り出したイデオロギーである。本来のミュージアムは、静的なものでなく西欧的な価値観で世界を一元化しようとするきわめて攻撃的、暴力的なものだが、日本を含めた非西欧圏も、近代化の過程に呑み込まれるやいなや、それを忘れてしまう。だから、「アフガニスタンの空爆で死亡、負傷した一般住民はかわいそうであるがやむを得ない犠牲者とされ、加害者責任は棚上げにされるが、『世界遺産』たるバーミヤン石窟の仏像への破壊行動は人類文化に対する許されざる犯罪となる」のだ。バーミヤンの仏像破壊に対しては、よく似た感慨を抱いたものだが、ミュージアムという「制度」に知らず知らずに蝕まれていたらしい。 ミュージアムの機能とは、かつての「王」「教皇」「皇帝」に替わって、西欧近代が新たに発見した「芸術」「文化」「歴史」「科学」といった価値概念によって、新しい「聖性」を創出し、その聖性のもとで新しい「タブー領域」を確定していくものである。その聖性やタブー領域をたえず拡大していくために、コレクションに社会的な公認の価値を認め、政治的な目標にしていくコレクションの制度化が行われる。そして、コレクションの制度化を成し得たところは西欧以外の文化圏には存在しない。 かつては、豊かな恵みをもたらしてくれた鯨を、食べることはおろか捕らえることさえ野蛮だとして禁じられ、捕鯨という文化さえ否定されると、さすがにのん気なわたしたちでも、西欧の考え方にあらためて「違和」を感じたりするのだが、その淵源がミュージアムの思想にあったことは、この本を読むまで気づかなかった。ふだん何気なく受容しているミュージアム体験に隠されている西欧的価値観による世界の一元化というイデオロギーに目を開かせてくれたという点、価値の相対化を図るという意味で最近の収穫であった。
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