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大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く 大江健三郎往復書簡
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 朝日新聞社/ |
発売年月日 | 2003/05/30 |
JAN | 9784022578372 |
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大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く
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商品レビュー
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3件のお客様レビュー
戦争やテロ、核、国家と民主主義、ナショナリズムなど、2023年の今も十分に”現代的”といえるテーマと議論。世界の文学者や思想家、経済学者などとの公開書簡でのやりとりは、豊かで新しい視点、考えるための多様な材料を提供してくれる。 個人的に興味深かったのは、例えばイスラエルの作家、...
戦争やテロ、核、国家と民主主義、ナショナリズムなど、2023年の今も十分に”現代的”といえるテーマと議論。世界の文学者や思想家、経済学者などとの公開書簡でのやりとりは、豊かで新しい視点、考えるための多様な材料を提供してくれる。 個人的に興味深かったのは、例えばイスラエルの作家、アモス・オズとのやりとり。アウシュヴィッツと原爆という極端な苦難を経験したユダヤ人と日本人の戦後の在り方は、前者が二度と敗者になるまいという武装、後者が武装すまいという決意だった、というオズの指摘。 また、ペルーのマリオ・バルガス=リョサは、反戦論者を動かしている理想主義を尊敬はするが、賛同はしないと明言している。反戦論や核兵器についての議論は抽象的であってはならない。具体的な状況を踏まえねばならないと。核兵器の所有を放棄できるのは、日本やペルーの特権であり、1940年代に平和主義の理想を重んじてアメリカが核武装をしなかったら何が起きたか、という問いはとても重い。 日本人としては、アメリカの核の傘の下にあるという事実に目をつぶることはできないから、「反核」の主張というのはその部分も含めた議論にならざるを得ないし、彼らの往復書簡を読んでいると、この議論の複雑さと重さが改めて身に沁みる。
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闘う作家の往復書簡。大江が世界の文学者等と戦争について意見を交換。日本の文学者は、『大きな物語』は、もう文学のテーマとはならないと高をくくってしまっているが、世界では今なお真摯に『大きな物語』と向き合い必死に闘っている文学者が大勢いることに感銘を受けた。 (メモ) ギュンター・...
闘う作家の往復書簡。大江が世界の文学者等と戦争について意見を交換。日本の文学者は、『大きな物語』は、もう文学のテーマとはならないと高をくくってしまっているが、世界では今なお真摯に『大きな物語』と向き合い必死に闘っている文学者が大勢いることに感銘を受けた。 (メモ) ギュンター・グラス ドイツの作家。 ナディン・ゴーディマ 南アの作家。(大江)日本では「不倫の小説」が社会現象として扱われるほど広く読まれている。不倫の性愛の徹底が心中に行きつくという主題は、およそ社会状況とは無縁な、閉じた物語として語られている。世界中の子どもらが感受の力と時代意識において巨大な暴力をうつす鏡だし、小さなモデルでもある。 アモス・オズ イスラエルの作家。広島の原爆被害とドイツのアウシュビツは時として比較されることがあるが、ユダヤ人と日本人は全く違う対応を示した。ユダヤ人は、大戦中の地獄の体験により非武装の幻想から覚め、ふたたび無防備でひ弱な存在になるまいと決意した。日本人は、ヒロシマを経験することであらゆる軍事力に魅惑されることはなくなった。 マリオ・パルガス=リョサ 絶対的な真実があると信じることが、人びとの残酷さの源になっている。文学の重要な働きは、人間性の理解を深めること。良識や感性を養い、微妙な差異やあいまいさを察知する力を読者に伝えることで狂信主義者と対立できる。 (大江)日本社会が「不寛容なシステム」という方向に動いている。子どもを保護するための少年法を、大人の社会を防衛するための法律にする提案がおこなわれ、なぜ殺した側の人権か、という野蛮な挑発もなされている。 (パルガス=リョサ)実存主義やサルトルとカミュの論争、「参加(アンガージュマン)」の思想によって作家の使命を教えられた。完全なる独裁は存在する。そして民主主義は必ず不完全だ。完全主義の美学や哲学理念を政治的現実へ移そうとして、多くの知識人は全体主義の誘惑に負け、その才能を屈辱にゆだねた。大きな物語を語ることについて、最近の作家は、もう古いことと切り捨ててしまっているが、果たしてそれで良いのだろうか? スーザン・ソンタグ いかに生きるか。ゴーゴリは『人の内部であらゆるものが以前より遅くなり、つねに刺激を受けていないと永遠の眠りに入ってしまいかねない、あの人生の運命的段階にすでに自分がきていることをチチコフは忘れていた。老いの始まった人が社会の俗悪な習慣にいかに鈍感に、無感覚と言ってもよいほどにおかされていくものか、彼はそれに気づかなかった…それは長いあいだに人の動きを奪い、包み込んでしまうため、自己というものがその人のなかに残っていない状態になる。残るのは世界の側に属するひとかたまりの条件づけや反射行動のみだ。それを突破して魂に到達しようとすると、それはもはやそこにはない』 大江は、日本の『柔らかなファシズム』と戦う。スーザンは問う。戦争は犯罪だ。しかし、戦争という手段をとらねば武力による侵略をやめさせる道がない場合は、どうするのか?今世紀の経験、とりわけ2つのいわゆる世界大戦の経験が実に恐ろしいものであったため、良心の人たちは正義の社会の鍵を握るのは戦争に反対することだという結論を引き出してしまった。現実を隠喩として語るほとんどの事例に対して、もっと懐疑的になるべきではないだろうか?ファシズムは、現在、隠喩となった。
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大江氏が世界の知識人と交わした公開書簡を集めたもの.ギュンター・グラス,ナディン・ゴーディマ,チョムスキー,サイードら錚々たる知性との対話.正直かみ合ってないと思うやり取りもあるが,多くは作家ならではの感受性に基づいた時代に向き合った真摯なやり取り.素晴らしい.
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