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高貝弘也詩集 現代詩文庫167
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高貝弘也詩集 現代詩文庫167

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高貝弘也詩集 現代詩文庫167

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 思潮社/
発売年月日 2002/12/15
JAN 9784783709404

高貝弘也詩集

¥605

商品レビュー

4

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2011/02/11
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※このレビューにはネタバレを含みます

 言葉には意味がある、というと当たり前なんだけど、言葉には複数のレベルで意味がある、ということには、普段はあまり気がつかない。気がつかないというか、言葉に意味があるという以上に当たり前過ぎて、意識に上らない。  そして普段感じている意味のレベルはというと、多分、統語のレベルであって、そのレベルになって初めて、一連なりの意味を認識している。根音に戻って完結した音楽を感じるのと同じように、文の要素が揃うまでは、意味が伝えられたという感じがしない。だけど、根音を喪失した音楽もとりあえずは可能であるように、それ以前のレベルにも意味はあるし、そうした言葉は可能だ。  高貝弘也の詩は、そうした意味以前の断片の集まりだ。いや、それは確かに意味を持つ言葉たちなんだけど、一瞬、意味がないかのような感じがする。だから、読めない。正確に言うなら、読めないのに読めてしまい、そのことが不思議で、やっぱり読めていないような気がしてくる。  断片、といっても単純に言語を分解して、たとえば単語レベルで言葉を投げつけてくる、というところに留まるものではない。不自然な統語。奇妙な断絶。()や〔〕で文字を記号化してみたり、紙面の殆どを空白で埋め尽くしてみたり。高貝弘也はあらゆる手を尽くして言葉の流れを断ち切り、その意味を浮遊させる。もはやそこには書かれた文字しかないように、一度は思える。深層の意味が全部取り払われてしまったような気がする。  しかし、にもかかわらず、何かが響く。これがいったい何なのか、私にはよくわからない。ただ、こう思う。統語を失った言葉は、詩人のあらゆる断片化の技術によって、統語を超えたレベルで再び何らかの統合がなされているのではないか。あるいは、われわれ自身に意味を求める本能的な欲求があり、その欲求に支えられて、断片が縫合されているのではないか。  はっきりしたことはいえない。表層にも深層にも意味が見出せない言葉を眼前に、滔々と意味を語りだすなんてことは、そもそもあってはならない。それでも、私としては、おそらく詩人が断片化することによって統合している、という線を取りたいと、今は思っている。  ただ、最後に付け加えておきたいのは、これだけ目立った特異性を発揮していながらも、詩人の本質は、そうした断片化そのものの面白さより、そこに漂う抒情性にこそある、ということだ。技法は手段に過ぎない。それは、抒情性をまっすぐに発揮した散文や、伝統的な歌のリズムを持った幾つかの詩を読めば、すぐにわかる。

Posted by ブクログ

2011/02/06

 日本語が母国語のように感じられないときがある。彼の詩がそうだ。積極的にある余白の合間からつぶやかれる彼の詩は、難解な語彙とおどろくほど簡単な日常語の二種類によってフラクタルに組まれていて、ぼくはなぜそうした言葉が組み合わせられるのだろうか、その事実におどろく。そして詩句は、何を...

 日本語が母国語のように感じられないときがある。彼の詩がそうだ。積極的にある余白の合間からつぶやかれる彼の詩は、難解な語彙とおどろくほど簡単な日常語の二種類によってフラクタルに組まれていて、ぼくはなぜそうした言葉が組み合わせられるのだろうか、その事実におどろく。そして詩句は、何を伝えたいかの意識を超えたところで打てば響かざるを得ないぼくの持つ、貧弱だけれどたしかにある感覚を刺激する。あらゆる詩篇が異語のように聞き取れるなかでたしかに「何かしらいい言葉」として伝わる硬質な抒情性は、八十年代、いや戦後詩以降において彼だけが唯一持ちえたたいへん稀有な言語感覚がなしうる業だろう。とくに後半に収録された「二歳になっても」における平易な語彙のなかにある「何か(ぼくはそれを物質に喩えたくはない、何かとしてとらえるしかなかった)」。この詩集を読まれるなら、ぜひその「何か」感じ取ってほしいと思う。

Posted by ブクログ

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