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私が朝鮮半島でしたこと1928年-1946年 1928年-1946年
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 草思社 |
発売年月日 | 2002/01/28 |
JAN | 9784794211057 |
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商品レビュー
4.8
5件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
巷やネットで嫌韓論とかアジア蔑視みたいな話・記事を目にするとため息が出ます。 同様に、中国や韓国の国粋主義的な若者の発言が切り取られてニュースになっているものも同様。 ・・・ 「日本人という事だけで、全て否定されるのか?」 アジアの女性と結婚して以来、こうした国籍ということを考えるようになりました。 子どもたちは日本の血が半分は言っているからといって、前の世代の責任を負うのか?あるいは血の交わり具合(50%)だけ責めを負うのか。 反対の立場であったら自分も同じように他国の人をその国の人間というだけで判断するのか? ・・・ やっぱり違う気がするねえ。 こういうことを考えていると国籍で判断する・されることが実にナンセンスに感じられるようになったわけです。良い国にも悪い奴もいるし、逆に治安の悪い国・評判の悪い国にも仁徳・人徳のある方はいらっしゃるだろう。 つまり数例をみて演繹的に物事を判断する(ネット・マスコミは得意)のは違うんじゃないか、と。人は個々人で・を判断した方が良いのではないかと。 結局、オリンピックすら素直に見れなくなりました。国別で応援するスポーツイベントは大抵の物事については興味が無くなりました。まあ外では振りはしますが。 ・・・ 右翼や国粋主義的な若者たちの排外主義的な考え方の根本は良く分かりませんが、やはり歴史認識が自分とは異なるのでしょう。 彼らの考えは分かりませんが、自分自身歴史を改めて学ぶ以外に自分の取り得る武器はないのではないかと思うようになりました(別に戦っているわけではないけど)。 教科書的な歴史は当然の事ながら、それだけが正であるとも言い難い。というか、人の見方や感じ方は一様ではないのに、教科書はそれを一行二行で表現してしまう。それは実は乱暴なことなのだと思います。 そのような時、本書のような個人的体験談、オーラルヒストリーの価値が輝きだすと思います。 ・・・ 著者は戦前戦中と土木工事に従事し、朝鮮半島で橋梁や土壌改良を行ってきたそうです。その過程では多くの韓国人と仕事をしたとのこと。 当然日本は韓国を併合した後のことで、日本人が韓国人を従事させるという上下関係があった模様です。 ただし、内容を見るに、かなり公平に韓国人・朝鮮人と付き合っていたようだし、戦後に苦しめられたのは朝鮮人からというよりロシア人からのようでした。朝鮮人から逆襲されたことはなかったとのこと。 これを読んで、かつて戦前戦中に日本人が韓国で悪いことをしたわけではない、とは言えないものの、普通に生きていた・ともに生きていた人もいたという傍証になればよいなと思いました。戦後半世紀以上が経った段階で執筆された経緯も、そのような思惑が筆者にもあったのではないか、とふと思いました。 ・・・ ということで松尾氏による朝鮮半島での工事日誌的な個人史・オーラルヒストリーでした。 一事例として非常に興味深い著作でありました。
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戦時中、朝鮮半島で土木会社で現場監督をつとめ、多くの韓国人と仕事をした著者が、当時を思い出して書いた本。フラットに書かれていると思った。韓国人の作業員で優秀な人は工科の学校にやったりしたそうだ。新田開発のための貯水池や用水路、移動のために橋を作った。韓国のためになる面はあっただろ...
戦時中、朝鮮半島で土木会社で現場監督をつとめ、多くの韓国人と仕事をした著者が、当時を思い出して書いた本。フラットに書かれていると思った。韓国人の作業員で優秀な人は工科の学校にやったりしたそうだ。新田開発のための貯水池や用水路、移動のために橋を作った。韓国のためになる面はあっただろうが、他国である日本人にされたことに我慢ならない人はいただろうし、逆に喜んだ人もいるだろう、便利に快適になると。実際喜んで、酒宴を開いてくれたこともあるそうだ。そんなことを読むと、救われる気持ちになる。そして、敗戦後、日本人から金品を奪い、暴力をふるった人の多くが、20代だったという。本来、一番日本人と付き合いのあった中高年の人たちではなかった。彼らは逆に気の毒そうに見ていて、ときには助けてくれたそうだ。民族や時代の状況を超えて、心通わせていた人たちもいたことに感銘を受けた。 著者が最後に完成させた北朝鮮と中国の間の橋、清城大橋。本では、あのあとどうなったかと著者は思いを馳せていた。Wikipediaにその答えは書かれていた。残念ながら、朝鮮戦争のとき、米軍が爆撃し、破壊したそうだ。今もそのままの姿で、残っているようだ。ちなみに、Googleマップでもその様子を見ることができる。
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昭和3年、18歳の著者が見た朝鮮半島の山河は貧しく、荒れ果てていた。 土木請負業を営む養父のもとで、彼は朝鮮の人々とともに各地を渡り歩き水利工事に取り組む。貯水池、水路やトンネル、道路、鉄道、そして橋の建設。交通は便利になり、農作物の収穫が増え、それは戦時色の強まるなか、半島の南...
昭和3年、18歳の著者が見た朝鮮半島の山河は貧しく、荒れ果てていた。 土木請負業を営む養父のもとで、彼は朝鮮の人々とともに各地を渡り歩き水利工事に取り組む。貯水池、水路やトンネル、道路、鉄道、そして橋の建設。交通は便利になり、農作物の収穫が増え、それは戦時色の強まるなか、半島の南から始まり、北進してゆく。 しかし、敗戦が状況を一変させる。多くの朝鮮人が日本人を迫害し、金品を略奪した。 著者も現在の北朝鮮領・安州にある日本人収容所から、妻子を連れて38度線まで300kmにわたる逃避行を余儀なくされる――。 日本政府が行ったいわゆる「産米増産計画」による朝鮮半島のインフラ整備に携わり、その変化を最前線で見つめ続けた一土木技術者の回想です。 戦後の教育でもマスコミの報道でも、日本が一方的に朝鮮を搾取したように教えられ、実際にそのようにしたのだと韓国・北朝鮮が主張し、なぜかその論調に追随する「日本の知識人」が現れる。そのため一般の日本人は、「昔、日本人は朝鮮半島で悪いことをした」という印象や思い込みが強く、私自身もその印象が拭えなかったひとりなのですが、この著者の綴る回想の中に、そのような影は一切見当たりません。 あるのは、朝鮮人のほか、半島に入植した中国人、日本人が隣り合う土地を耕して野菜を作り、商いをし、共存するのどかな日々でした。 水利事業、耕地整理、架橋工事など多くの土木事業は日本人だけでなく現地人の雇用を産み、荒れた土地は豊かな田畑に、道路や橋が完成すれば、人や物の流通が活発になり、経済活動が生まれた。 日本語を強制していたというが、実際には著者たちも朝鮮語を覚え、現場や日常生活ではそちらで会話をしていた。 不穏な人間はどこにでもいて、それは日本人でも朝鮮人でも変わらない。 土木工事の現場では、『もっとも、耐えられないほど過酷な作業をさせたことはない。』と述懐しています。 本書を書き上げたとき、著者は91歳。敗戦後、態度が一変した朝鮮人たちに胸の悪くなるような経験もさせられたにも関わらず、ご夫婦そろって「楽しかった」と懐かしめる、あの頃の朝鮮半島に生きた普通の人々の記録。
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