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その時歴史が動いた(13)
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その時歴史が動いた(13)

NHK取材班(編者)

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その時歴史が動いた(13)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 KTC中央出版/
発売年月日 2002/05/09
JAN 9784877582210

その時歴史が動いた(13)

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2012/02/14

今回のシリーズで印象に残ったのは、今リコール問題等で話題になっているトヨタ自動車誕生の物語です。私が物心がついたことにはトヨタ自動車は、親会社(豊田自動織機)よりはるかに大きな会社になっていましたが、始まりは自動車部からだったのですね。 トヨタ4代目の新社長は今はリコール問題...

今回のシリーズで印象に残ったのは、今リコール問題等で話題になっているトヨタ自動車誕生の物語です。私が物心がついたことにはトヨタ自動車は、親会社(豊田自動織機)よりはるかに大きな会社になっていましたが、始まりは自動車部からだったのですね。 トヨタ4代目の新社長は今はリコール問題に追われていてそれどころではないかもしれませんが、自動車に次ぐ事業として何を考えているのでしょう。 自動車販売台数よりも、ワンピースやゲームの販売台数の多い日本において、いつまでも自動車に拘っていると、堺屋太一が平成30年で予測したように、トヨタとホンダが合併することもあり得るかもしれません。というようなことを、このシリーズを読んで考えました。 キリシタン女性 関ヶ原をゆるがす/細川ガラシャの悲劇 ・ガラシャは侍女の清原マリアを教会に送って洗礼を受けさせ、マリアからさらに洗礼を受けることで、キリスト教徒となった(p41) ・昔の日本では儒教の教義が重んじられ、女性には「三従:子供時には父親、結婚したら夫、歳をとったら長男の言う事に従う」を説いていた(p42) ・関ヶ原の戦いにおいて、細川忠興隊5000は、先陣争いをして石田三成隊へ突撃した(p55) ・当時は夫婦別姓であり、「明智玉子」としてガラシャは人々から認識されていた(p56) 上杉鷹山 ふたたびの財政改革 ・上杉家は謙信以来の領地から約17分の1(250→15万石:米沢藩)に激減していたが、藩士数は削減されなかった(p73) ・倹約を求められる立場からは、痛みを何年我慢したら、どれだけの幸福が得られるかを示す必要がある(p93) ・1822年に鷹山が72歳で亡くなった翌年(2度目の財政改革から33年目)には借金を殆ど返し終わった(p101) 不平等条約を改正せよ/外務大臣・陸奥宗光の決断 ・陸奥行った条約改正は、即時締結を行うが、発効までに5年間の期間を置いた(p138) ・不平等条約解消にむけてイギリスと交渉している時に、イギリスは函館を貿易港として使用する(租借)することを求めた(p144) ぼく一生の不覚/三国同盟締結・松岡洋右の誤算 ・松岡自身は、日本は国際連盟に残るべきと考えていたが、「ノーと言えた日本」を演じた松岡は日本へ帰国したときに国民の大歓声を受けた(p169) ・松岡の壮大な構想は、敵対してきたソ連を日独伊三国同盟に取り込もうとしたこと(p182) 走れ!AA型/国産自動車誕生物語 ・G型自動織機を開発した2年後の1926年(大正15年)、豊田佐吉・喜一郎は、豊田自動織機製作所を設立、年商130万円のトップ企業となった(p214) ・石川島造船所が作成した自動車は、ボディ鋼板用にイギリスから輸入したため、輸入車の2倍の価格であった(p219) ・昭和8年(1933)に、喜一郎は自動織機製作所の中に自動車部を設立した(p223) ・日産が海外技術を積極的に輸入するのに対して、トヨタは自前の技術の確立(シボレーを解体して勉強含)を目指した(p226) ・日産は自動車業界から撤退する会社から中古のプレス機、金型を生産ラインとして購入することで、3000cc車の大量生産を可能にする体制を整えた(p237) ・トヨタは昭和11年4月に、1ヶ月200台の生産能力で排気量3400ccの国産自動車を量産し始めた(p239)

Posted by ブクログ

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