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上田閑照集(第8巻) 非神秘主義 エックハルトと禅
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上田閑照集(第8巻) 非神秘主義 エックハルトと禅

上田閑照(著者)

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上田閑照集(第8巻) 非神秘主義 エックハルトと禅

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/
発売年月日 2002/05/28
JAN 9784000924689

上田閑照集(第8巻)

¥3,135

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2011/05/15

エックハルトと禅を比較した論考などが収められている。 神秘主義が、永遠に「一」なるものへと到りそこで安らう態度に留まるとすれば、そうした立場を踏み越えて「無窮の動性」へと出てゆかなければならないと著者は考える。こうした立場を著者は「非神秘主義」と呼ぶ。 エックハルトの神秘主義...

エックハルトと禅を比較した論考などが収められている。 神秘主義が、永遠に「一」なるものへと到りそこで安らう態度に留まるとすれば、そうした立場を踏み越えて「無窮の動性」へと出てゆかなければならないと著者は考える。こうした立場を著者は「非神秘主義」と呼ぶ。 エックハルトの神秘主義を、A・シレジウスは「薔薇は何故なしに有る」という言葉で表現した。これは、自然とそれを見ている人間が対立する「二」の立場を打ち破る方向を示している。ここに、「二」から「一」へ向かい、神との合一をめざす神秘主義の立場が的確に表現されているということができるだろう。 だが「何故なし」という言葉は、事実を「理」の否定によって、「理」の側から捉える立場にとどまっているということを示している。それはいまだ「事」を「事」そのものの側から見る立場に至っていない。エックハルトが神との合一をさらに踏み越えなければならないと考えたのはこのためだった。彼は、神との「合一」を超えて端的な「一」へと進むべきだと主張する。だが、神との合一を踏み越えたところは、もはや神でも人でもないのだから、「無」と呼ぶべきだろう。そしてここに、エックハルトと禅とを対照しうる視座が開かれてくると著者はいう。 ほんとうに神との合一を踏み破って「無」へと出るならば、「薔薇は何故に有るのか」という当初の問いそのものも一挙に消し去られるはずだ。そして、禅問答はまさにこの場所において展開されていると著者はいう。そのことは、「如何なるか是れ祖師西来の意」という問いかけに対して、問いそのものを消し去るような仕方で趙州従諗が答えた「庭前の柏樹子」という言葉に示されている。著者はそこに、徹底した否定があるがままの事実の端的な肯定と相即していることを見ようとしている。 このほか、エックハルトのドイツ語説教の検討し、その言語行為的実践と言語以前の経験とのつながりを論じた論考なども収録されている。

Posted by ブクログ

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