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その時歴史が動いた(6)
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その時歴史が動いた(6)

NHK取材班(編者)

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その時歴史が動いた(6)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 KTC中央出版/
発売年月日 2001/05/01
JAN 9784877581923

その時歴史が動いた(6)

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2012/04/03

もう多くの方が述べられているので驚かなくなりましたが、有名な合戦である、長篠の戦や今回取り上げられている”桶狭間の戦い”も通説通りではなかったようです。 最近になって通説以外の考え方が出てきているのは、表現の自由もあると思いますが、秘密とされてきた文献や手紙の公開や考古学の発...

もう多くの方が述べられているので驚かなくなりましたが、有名な合戦である、長篠の戦や今回取り上げられている”桶狭間の戦い”も通説通りではなかったようです。 最近になって通説以外の考え方が出てきているのは、表現の自由もあると思いますが、秘密とされてきた文献や手紙の公開や考古学の発達によるものらしいです。歴史の授業やテレビドラマで見たイメージは子供ながらに、しっくりこなかったのが、最近になって修正されてつつあります。 大将が一騎打ちしたり、騎乗の指揮官が先頭にたって攻めるシーンは、テレビや劇では良いとは思いますが、実際に小学校の時の騎馬戦を思い出すと、なんかしっくりこなかったので、最近の研究の成果を楽しく見守っています。 以下は気になったポイントです。 桶狭間の戦い/織田信長、逆転への情報戦略 ・天文20年(1551)3月、18歳のときに織田家の家督をついだ信長にとって最大の脅威は、隣国駿河の今川義元であった、駿河・三河・遠江の70万石を治めていた(p32) ・信長の使った偽装工作として、寝返った武将に対する偽手紙以外にも、嘘の噂を流す、重臣会議で本音を言わない、同じ手口を多用しないという情報戦略を使った(p35) ・10倍以上の敵(実質3000対2.5万)に向かうためには、総大将義元の首をとれば、今川軍が瓦解することを想定して作戦を練った(p36) ・今川義元は桶狭間の窪地に本陣を構えたとされてきたが、最近の研究では、桶狭間山といわれる山のうえに構えていて、義元を下から攻撃したことが判明してきた(p51) ・情報は得るだけではなく、いちばん良いタイミングのときに使うという決断が大切(p58) 伊能忠敬・56歳からの挑戦/日本地図誕生の時 ・1804年8月、伊能忠敬は測量結果をもとに「日本東半部沿海地図」(大図69枚、中図3枚、小図1枚)を作成して幕府に献上した、幕府の閣僚はその緻密さを認め、西日本を含むに本全土の地図作成を命じた、これにより国家事業に位置づけられた(p88) ・文政4年(1821年)7月に、「大日本沿海興地全図」(大図214枚、中図8枚、小図3枚)を提出した、測量開始から21年の出来事、この2ヶ月後に忠敬は死を迎えた、幕府は武士並みの地位を与えた(p100) 坂本龍馬暗殺事件 ・薩長同盟により最新鋭の武器を装備した長州軍は、1866年6月、わずか3500人の軍勢で、10万を超える幕府軍に勝利した(p129) ・坂本龍馬は、新政府の中枢として、徳川慶喜を置くことを考えていたが、これは薩摩藩の西郷隆盛には受け入れられないことであった(p133) ・1868年12月、龍馬暗殺の後、京都御所が薩摩により包囲される中、公家と一部有力大名との会議において、岩倉具視主導で、徳川慶喜を新政権から排除する決定が下された(p137) ・その決定をに反発する旧幕府軍と、薩摩・長州連合軍が京都の鳥羽・伏見で激突し、旧幕府軍は敗北する(p147) 「学校」誕生/初代文部大臣・森有礼の挑戦 ・明治初期(5年から12年頃まで)の学校では、試験問題が難しく、上級(合計16の最上級)まで進級できる生徒は、1つの県で数人という有様、さらに授業料が高く、1ヶ月(50銭)は庶民の生活費の3分の1をしめた(p176) ・当時の日本には、1つの文字に対して複数の変体仮名があったが、森が編纂させた教科書には変体仮名は使われていなかった(p185) ・明治23年に、森死去後に、忠君愛国を教育の根本方針に定めた「教育勅語」を起草した(195) 1929年ニューヨーク株価大暴落/なぜパニックは起きたのか ・株価大暴落で大もうけしたケネディ曰く、「市場で金を儲けるのは簡単だ、法律で禁止されそうなことを、その前にやれば良い」(p213) ・下がる前の値段で株を売り、後日同じ株をそのときの相場の値段で買い戻すという取引をするのを、「空売り」と言う、この手を使って稼いだはリバモアであった(p215) ・20世紀の初めまでのアメリカは、額に汗した働き、節約をして経済建設をするという、お金を使わずに一生懸命に富を蓄積することが美徳とされていた(p217) ・1929年9月26日にイギリスの中央銀行が金利を大幅に上げた(アメリカより高い6.5%)ので、それまでニューヨークに投資されていた資金がより高い金利を求めてロンドンに移動し始めた(p231) ・1929年10月24日に銀行資金(数百万ドル)の株買い支えにより株式相場は回復し始めたが、株価の回復を伝えるティッカーが90分遅れた価格しか伝えられずに、市場は混乱して売りが殺到した(p238)

Posted by ブクログ

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