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巨人、大鵬、卵焼き 私の履歴書
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巨人、大鵬、卵焼き 私の履歴書

大鵬幸喜(著者)

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巨人、大鵬、卵焼き 私の履歴書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本経済新聞社/
発売年月日 2001/02/21
JAN 9784532163778

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商品レビュー

3.8

4件のお客様レビュー

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2018/03/13

大鵬の人生について自らが語っている。 食べられるようになるだけでありがたいという環境が、今はすべてが満たされている。それが相撲にも現れている。

Posted by ブクログ

2014/01/20

日本経済新聞に連載された「私の履歴書」に加筆・修正したもの。 昨年、急死した大横綱の知られざる人生。連載時には、新聞紙上に「あの大鵬が実は○○○だった . . . 」的な記事が出たりしたこともあったのだ。 相撲に興味がなくても面白い。

Posted by ブクログ

2013/06/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

大相撲史上最多の32回の幕内優勝を誇り、2013年1月の死去後に国民栄誉賞を授与された第48代横綱大鵬。 2001年に発刊された本書では、大鵬さんのこれまでの足跡が記されている。 大鵬さんは本名を納谷幸喜と言い、1940年(昭和15年)に当時日本領だった樺太(サハリン)の地で、ウクライナ人の父親と日本人の母親の間で生を受けた。 樺太で過ごした幼年期は苦難の連続であり、父と離別したほか、第二次大戦末期の旧ソ連による樺太侵攻により、母や兄弟と命からがら北海道へ逃げ渡った。 納谷一家は稚内で下船したが、乗船した船そのものも、留萌沖で国籍不明の潜水艦の攻撃により沈没、同じ時間帯に樺太を出発した船もソ連からの攻撃で沈没するなど、まさに極限状態だった。 まだ幼い納谷少年にとって、非常に過酷な運命の連続である。 その後、母や兄弟と共に北海道各地を転々としながら生活し、家族を支えるために、さまざまなアルバイトを行ったほか、中学卒業後には営林署での仕事をする傍ら、夜は定時性高校へ通うなど、まだ「子供」と言えるような年齢ではあったものの、家族を支える苦労人であった。 その後、ある日突然大相撲の世界へ入門することになる。 偶然、巡業に来ていた二所ノ関部屋にスカウトされたのだ。 戸惑う納谷少年だったが、「美味しい食べ物がたくさん食べられる」ことも魅力に感じ、入門。16歳の時であった。 入門後、「名伯楽」と呼ばれた二所ノ関親方(元大関:佐賀ノ花)や「土俵の鬼」と呼ばれ、若貴兄弟の叔父にあたる横綱若乃花など、師匠や兄弟子からの厳しい稽古を通じ、北海道の生活を通じて磨かれた大鵬さんの能力は花開くこととなる。 巷では「天才」と呼ばれることが多い大鵬さんだが、他の力士よりもはるかに激しい稽古に励んだ。 間違い無く、単なる「天才」では無く、「苦労人」であり「努力の天才」であると言えよう。 そして、スピード出世で新入幕を果たし、いきなり新入幕で優勝争いに加わる大活躍をすることとなる。 「柏鵬時代」で知られるライバル柏戸との関係、初優勝、大関や横綱への挑戦、そして大横綱や大記録への道を辿ることに。 21歳で横綱昇進を果たした後は、ライバル柏戸と競い合う中で2度の6連覇や45連勝を達成。 その頃の大鵬は187cm、130kgの体格を誇り、当時としてはかなり大柄な力士であったが、単に体格が大きいだけではなく、稽古熱心、研究熱心な姿勢で、昭和30年代後半から昭和40年代半ばにかけ、土俵に君臨した王者と言えるだろう。 また、横綱昇進後はたびたび怪我にも苦しめられたが、不屈の努力で復活。「不死鳥」とも呼ばれた。 一方で、「大鵬の相撲には型が無い」との一部相撲ファンからの批判に対して、師匠の二所ノ関親方は「大鵬の相撲は自然体」と評した。 何でもこなす最高のオールラウンダーでもあった。 ちょっとした逸話になるが、大鵬さんは酒豪や大食漢としても知られ、一人で一升瓶の日本酒を何本も開け、次の日は普段通りに稽古をしていたというエピソードも。 その後、昭和44年(1969年)にライバル関係にあった柏戸が引退した後は、北の富士と玉の海の若い二人の横綱のカベとして引き続き君臨し、32回の優勝という大記録を達成。 しかし、大鵬にも引退の時がやってくる。 昭和46年(1971年)夏場所、若貴兄弟の父である初代貴ノ花に敗れ、引退を決意。30歳の時であった。 通算32回の優勝。これは大鵬さんが幕内に在位していた時期のうち、2場所に1回は優勝するという途方も無いペースで記録され、新入幕から引退するまで毎年優勝するなど、今でも破られていない大記録をいくつも残した。 引退後、一代年寄として大鵬部屋を創設したが、37歳の若さで脳梗塞の病に倒れることになる。 家族や周囲の支えもあり、懸命のリハビリで復帰。 脳梗塞の後遺症もあり、相撲協会の理事長などの要職には就けなかったが、血液運搬車「大鵬号」の寄贈など慈善事業や福祉事業にも取り組んだ実績は特筆される。 さて、本書では随所に頑固な気持ちを見せる大鵬さん。 今ではなかなか見られない頑固者だと感じさせられる。 最近の角界への金言や苦言、更には現代の若者へのアドバイスも書かれている。 2013年1月、大鵬さんは死去。71歳だった。 豊かになった今の時代、大鵬さんのような人物は、もう二度と出てこないかも知れない。 単に大相撲の世界で偉大な記録を残したのみならず、引退後の慈善事業や各分野の著名人との交流は特筆される。 不世出の大横綱と呼ばれる所以である。 http://www.taiho-yokozuna.com/index.html

Posted by ブクログ

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