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自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門 講談社現代新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2001/02/20 |
| JAN | 9784061495425 |
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自由はどこまで可能か
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商品レビュー
3.6
44件のお客様レビュー
リバタリアニズムについて具体例を多くあげながら、なるべく平易な言葉で解説。副題通りリバタリアニズム入門といった感じ。参考文献の紹介も丁寧。これまでリバタリアニズムに触れたことがなかったので、新たな考え方を多く知ることになり刺激的な一冊だった。 再読追記。リバタリアンが重視する自...
リバタリアニズムについて具体例を多くあげながら、なるべく平易な言葉で解説。副題通りリバタリアニズム入門といった感じ。参考文献の紹介も丁寧。これまでリバタリアニズムに触れたことがなかったので、新たな考え方を多く知ることになり刺激的な一冊だった。 再読追記。リバタリアンが重視する自己所有権とは「各人は自分自身の所有者である」というテーゼ。自己の身体そのものに限らず、自己の労働の産物、あるいはその対価として考えられた財産への権利も含まれる。この自己所有権の射程をどこまで広げ、どのような理屈で適用するか(あるいはしないのか)を説得的に説明できるかがリバタリアンの腕の見せ所なのかもしれない。首尾一貫した主張には共感出来るものが多い。
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20世紀になるとアメリカではリベラリズムという言葉が本来の意味から離れて福祉国家・社会民主主義的な意味をもつようになった。そこで、福祉国家的なリベラリズムと区別して、本来のリベラリズムを指す言葉としてリバタリアニズムという表現が生まれた。p.17 新自由主義や新保守主義という言...
20世紀になるとアメリカではリベラリズムという言葉が本来の意味から離れて福祉国家・社会民主主義的な意味をもつようになった。そこで、福祉国家的なリベラリズムと区別して、本来のリベラリズムを指す言葉としてリバタリアニズムという表現が生まれた。p.17 新自由主義や新保守主義という言葉は多義的で定義も曖昧なので使わない。ジャーナリズムではよく使用されるが、学術文献ではあまり見かけない。p.21 自由を最大限認めるにしても、自分を奴隷化する契約や臓器売買の契約は容認されるべきか。p.54 貧しい国では臓器を売る人が多いが、豊かな国では臓器を売る人は少ない。豊かになればなるほど、お金では買えない価値やかけがえのない価値、つまり非経済的価値を大切にするようになる。p.69 ナショナリズムを否定しているにもかかわらず、ある国民(○○人)は戦争責任を負うべきだと主張するのは矛盾している。「○○人」という国民集団への人格的帰属を強いることがないならば、国の責任はその国民の責任とは言えない。p.132 リバタリアンから見ても、相続税はまだ正当化しやすい。何の意思も持たない死者は行為者・自然権の主体ではないと考えることはできる。一方、贈与税の正当化は難しい。まだ生きている自然権の主体の権利を制限するものでしかない。p.153 リバタリアンな社会では、共有された民族的記憶も、愛国心の熱い昂揚も、強い市民意識の覚醒も発生しにくい。p.208
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とあるところで勧められたので、読んでみました。 リバタリアニズムの本をまともに読んだのは、これが初めて。 自由や平等を尊重する、という点では、一定程度理解できる部分もあるものの、少なくともこの本からは、リバタリアニズムは何だかとってもご都合主義な主張のように思えました。 日本で...
とあるところで勧められたので、読んでみました。 リバタリアニズムの本をまともに読んだのは、これが初めて。 自由や平等を尊重する、という点では、一定程度理解できる部分もあるものの、少なくともこの本からは、リバタリアニズムは何だかとってもご都合主義な主張のように思えました。 日本で、リバタリアニズムに近い政治が行われたのは、2000年代から2010年代にかけて、という認識なのですが、この本が出た2001年は、そういった政治の前。 この20年の日本の政治や社会を見てもなお、著者(や他のリバタリアン)が同じ主張をするのかどうかが気になりました。 それにしても、法哲学に関するいろんな主張(主義)は、どれも極端な部分が多い印象があります。 おそらくは、それぞれの前提に基づいて徹底的に突き詰めようとしている結果だとは思いますけど、自分には「やりすぎ」に思える部分が多いです。 ただ、その「やりすぎ」が発生するがゆえに、また新たな主張(主義)が生まれ、議論が豊かになるのだろう、とは思っています。 とはいえ、やりすぎな部分は、正直いって、読むのがしんどい…。
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