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身体の中世 ちくま学芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 2001/11/09 |
JAN | 9784480086662 |
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身体の中世
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身体の中世
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9.11テロの年にちくま学芸文庫より発行されている。 堀米庸三や樺山紘一の衣鉢を継ぐ筈なのだが、池上の文章には、堀米、樺山にあった熱い情熱を感じることが出来ないのは何故だろう。 徹底して禁欲的な記述を心がけているのだろうが、著者がどこに感動し、どこに興奮しているのか分からない文章...
9.11テロの年にちくま学芸文庫より発行されている。 堀米庸三や樺山紘一の衣鉢を継ぐ筈なのだが、池上の文章には、堀米、樺山にあった熱い情熱を感じることが出来ないのは何故だろう。 徹底して禁欲的な記述を心がけているのだろうが、著者がどこに感動し、どこに興奮しているのか分からない文章は読めない。 池上の本を何冊か読んでみたが、どうも好きになれなかった。 大著「ロマネスク世界論」は大いに期待したが、途中で投げ出してしまった。 とは言え、せっかく読んだので、要点のみメモする。 アナール派の社会史の手法に基づく中世論。 対象は身体の部位。 中世の身体感覚は、近現代のそれとは異なる。 何故なら、身体感覚は社会と風習が作り上げるものだからだ。 つまり、身体感覚の差が社会(構造)の差を如実に示すということだ。 中世において身体は何よりも宇宙(コスモス)だった。 正確に言えば、宇宙(コスモス)に対して、身体は小宇宙(ミクロ•コスモス)だったのだ。 当時の西欧のコスモスがキリスト教世界であることを考えると、ミクロ•コスモスもキリスト教化されている。 それがキリスト教カトリックの身体観だった。 現代と違いはないだろうと勝手に思っている日常の動作でも、中世においては、その意味付けは異なっていたのだ。 それだけキリスト教の影響は絶大だったということだ。 身体と精神(心)は連動している。 ということは、キリスト教による身体支配とは、精神支配に他ならない。 中世の身体感覚、身体観から炙り出されるのは、中世の精神のあり様、キリスト教によって強制され、矯正された心の姿なのだ。 中世、人々は身体を通じて世界を認識していた。 それは現代でも同じだが、大きく異なるのは、中世にあっては、世界認識の世界=宇宙=コスモスが、キリスト教によって一義的に決定されていたことだ。 中世の身体感覚によって明らかとなるのは、その世界認識が、キリスト教のコスモスを決して抜け出ることが出来ないということだ。 そのため、中世の芸術は、現代人にとっては理解を拒絶する素振りを見せているような気がするのだ 中世の身体は様々なメタファーとイメージで表される。 それは中世の絵画で、アレゴリーとして取り上げられる。 中世絵画がわかりにくいのは、現代人が中世人の身体感覚を失って、画家の込めたアレゴリーを理解できないためだ。 その意味では本書は中世絵画を読み解く副読本とも言える。 タイトルの「身体の中世」は、明らかにル•ゴフの「中世の身体」を意識している。
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中世ヨーロッパの身体観について、主に社会史の観点から包括的に論じている本です。宗教的な儀礼の身振り、衛生観念や病、刑罰などのテーマについて解説をおこない、さらに感情や感覚にまつわるさまざまな事実を掘り起こしています。 社会史的な観点からの研究は、一般の歴史愛好家にとっては、数多...
中世ヨーロッパの身体観について、主に社会史の観点から包括的に論じている本です。宗教的な儀礼の身振り、衛生観念や病、刑罰などのテーマについて解説をおこない、さらに感情や感覚にまつわるさまざまな事実を掘り起こしています。 社会史的な観点からの研究は、一般の歴史愛好家にとっては、数多くの事実に歴史の大きな潮流が見えにくいと感じられてしまうのではないかという気がしています。すくなくともわたくし自身は、しばしばそのような印象をいだくことがありました。もっとも、細部の事実の探求を通じて、それまでの常識にとらわれていた解釈の枠組みが揺さぶられた体験もあるので、一概になじみにくいともいえないのですが。 著者は「文庫版あとがき」で、「中世人の身体や感情・感覚についての、賑やかなパノラマを読者の前に繰り広げてみせる、というところに一番の比重があるのではなかった」と述べており、「ヨーロッパ中世の身体を体系的に把握してしまおう」という大胆な企図にもとづいています。そして、身体に焦点をあてることによって、中世ヨーロッパの精神史的本質にせまることがめざされています。 こうした著者の意図そのものは興味深いと感じたのですが、たとえばフーコーの系譜学の試みなどに見られるような、中世の身体観の中軸的な枠組みについて、理論的な側面からの考察に踏み込んでほしいと感じました。
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●構成 はじめに Ⅰ 身体コミュニケーション Ⅱ 身体に関する知・メタファー・迷信 Ⅲ からだの<狂い>とこころの<狂い> Ⅳ 感情表現の諸相 Ⅴ 五感の歴史 おわりに -- 本書は、ヨーロッパ中世における多様な「身体」の捉え方を通じて、「時代と地域の特質を考察する」(p.9)...
●構成 はじめに Ⅰ 身体コミュニケーション Ⅱ 身体に関する知・メタファー・迷信 Ⅲ からだの<狂い>とこころの<狂い> Ⅳ 感情表現の諸相 Ⅴ 五感の歴史 おわりに -- 本書は、ヨーロッパ中世における多様な「身体」の捉え方を通じて、「時代と地域の特質を考察する」(p.9)ものである。 人々の身振りやスポーツなどの動作、また衣服や化粧などの外面的な装いを、著者は「身体コミュニケーション」と定義する。これは、キリスト教教会に従属し規定されていたヨーロッパ中世の様々な生活共同体の中で、これらが表象する物や意味を与えられる。また、身体及び身体各部位をミクロコスモスと捉え、これらをメタファーとした、教会世界などのマクロコスモスとの対比を提示する。 心身の異常、感情、感覚の各論においても、教会と世俗(宮廷)の倫理を中心に、両者の差異や対立の中で各コードの意味を解読する。「からだ」だけでなく「こころ」もまた、イデオロギーとなり得る。 平易な文章で、類書に比べて読みやすいが、時折「アレゴリー」や「分節」といった学術用語が登場する。ヨーロッパ中世における社会史やイコノロジーに興味がある人にどうぞ。
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