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やむにやまれず
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社/ |
発売年月日 | 2001/09/10 |
JAN | 9784062108225 |
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やむにやまれず
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
本書は関川夏央が「小説現代」に連載していた18の話を集めたもの。 どういう経緯なのかは分からないが、18話のそれぞれに、いしいひさいちが漫画を描いていて、これがとても面白い。いしいひさいちから関川夏央がどのような人物として見えているかが描かれている訳であるが、それが、関川夏央の本...
本書は関川夏央が「小説現代」に連載していた18の話を集めたもの。 どういう経緯なのかは分からないが、18話のそれぞれに、いしいひさいちが漫画を描いていて、これがとても面白い。いしいひさいちから関川夏央がどのような人物として見えているかが描かれている訳であるが、それが、関川夏央の本から感じる関川夏央の人物像を鋭く捉えているような気がするのだ。 雑学を披露すること、蘊蓄を傾けることが大好き。議論好き、というか、議論に勝つことが好き。言い訳や、話のすり替えが、とても上手。そう見られるのは本意ではないだろうが、勉強家。偽悪家、露悪趣味。書くものは、すこぶる面白いが、実際には、あまり付き合いやすい人ではなさそう。そのような人物像を思い描いてしまうのであるが、それを、いしいひさいちは、4コマ漫画で上手に描いている。 関川夏央に対して、というよりも、いしいひさいちの漫画に対しての感想になってしまった。
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世代論というのが嫌いである。そんなもので一括りにされてたまるかという気がする。その一方で、本を読んでて「分かるなあ、この気持ち」とつぶやいていたりすることがある。その時代の空気というものがあり、それを吸ったものでないと、到底分からない手ざわりのようなものがあるのだ。単に世代でくく...
世代論というのが嫌いである。そんなもので一括りにされてたまるかという気がする。その一方で、本を読んでて「分かるなあ、この気持ち」とつぶやいていたりすることがある。その時代の空気というものがあり、それを吸ったものでないと、到底分からない手ざわりのようなものがあるのだ。単に世代でくくるのでなく、人の性向、学歴、仕事等まで含めていけば、人のメンタリティーを形成することにおいてかなりの部分で共通するものがあるのかもしれない。 「団塊の世代」という言葉をよく目にする。戦後のベビーブームの時代に生まれた人たちを指していう言葉だが、世代というなら、同じ年代に生まれたすべての人を指しそうなものだ。しかし、文脈から見ると、大学を卒業し、サラリーマンになっている人たちを指して使われることが多いように思われる。ちょうどその年代が、大学進学がめずらしくなくなり、サラリーマンという職業が台頭してきた時代と重なっているのだろう。田舎で百姓をしていたり、親の後を継いで大工をしている人も同じ日月の恩恵を受けているはずだが、彼らを指して使われることの稀な言葉である。 思うに、百姓や大工という仕事は昔からあり、世代によって横につながるよりは、縦につながることの方が自然な職業である。第一、仕事がはっきり見える。それに比べると、かつては知的エリート層の専有物であった大学も、マスプロ化されることによって、その権威をなくし誰もが行けるところになっている。格別な修業は必要としないサラリーマンという職業もまた顔の見えない職業と言えるだろう。何かで差異を見つけようとすれば、世代くらいしかないのかもしれない。 ややもすれば上の世代からも下の世代からも揶揄されがちに使われる「団塊の世代」に属し、さらに悪いことには文学好きであった関川氏は、小説という「嘘話」を書くときにも、自分の年齢という自意識から自由になれない。18の短編の主人公はすべてと言っていいほど限りなく実年齢に近い男性に設定されている。それだけでなく、独身者であることまで著者と同じである。つまり、小説とは言うものの、ここに書かれた話は身辺雑記として読まれてもなんの不思議もないものである。 本来なら誰もわざわざ読もうとも書こうとも思わない、中年の独身男の優柔不断な生き方や、手前勝手な口上を、何ら事件らしい事件の起きない日常生活に紛らせて書くというこの手法は、意匠こそ現代風に装われてはいるものの「私小説」として知られるあまりにも日本的な小説作法と同じである。この臆面もない自己言及癖は、やはり「団塊の世代」につきもなのだろうか。それとも、北方の地方都市から上京し、私立大学の文系を目指すような人に共通する心性なのだろうか。 自分の世代にしか分からぬ気分というものを書いてみたいが気恥ずかしい。だから「やむにやまれず嘘をつく」(第18話)という次第でもあろうか。個人的見解ながら、小説として読もうとすると、各編で見られることだが結末の一文が余計に思える。腰砕けの感がするのである。蛇足というべきであろう。独特の切り口を見せるノンフィクションの方が著者の持ち味を活かせるように思う。
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