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遠野物語・山の人生 ワイド版岩波文庫121
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 1993/12/18 |
JAN | 9784000071215 |
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遠野物語・山の人生
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とりあえず「遠野物語」のみ読了。 いやーおもしろかった。 これは欲しい。 九州に生まれ育った私にとって、東北地方はやはり想像するしかない別世界のように感じた。素晴らしい。 行ってみたいな岩手県。 知らない言葉もたびたび出て、そのたびに辞書で調べた。 ・陳勝呉広・・・始皇帝没後の...
とりあえず「遠野物語」のみ読了。 いやーおもしろかった。 これは欲しい。 九州に生まれ育った私にとって、東北地方はやはり想像するしかない別世界のように感じた。素晴らしい。 行ってみたいな岩手県。 知らない言葉もたびたび出て、そのたびに辞書で調べた。 ・陳勝呉広・・・始皇帝没後の反乱を起こした人物の名前。初めての農民の反乱だったため、転じて物事のさきがけをすること。その人。 ・早池峰・・・山。北上高地の最高峰で、標高1917メートル。山頂に神社奥宮がある。 ・安倍貞任・・・平安時代の陸奥の豪族。源平合戦の少し前の人。前九年の役で源頼義・義家父子と戦う。 以上はメモ程度。 「マヨイガ」「オシラサマ」「オクナイサマ」などが特に興味を引かれる。 富貴に関することと、それを裏付ける現象。 かどわかしもおもしろい。 異類婚姻譚多いなー。 ちょっと『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)を読みたくなった。 語り手(佐々木鏡石:当時24,5歳)のおじいちゃん世代(の上かな?)が嘉永のようだから、本当に前近代と近代の間なんだなぁ。 「遠野物語」は前文からしてそうなのだけど、「これは残さねば!」という柳田の熱意が伝わってくる。
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NHKの100分de名著「遠野物語」(3)生と死 魂の行方を見ての感想です。 石井正己教授「近代社会では、死を遠ざけようとして来たが、遠野物語の世界では、それは身近で、生と死の間がとでも曖昧なんですね」 111 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに...
NHKの100分de名著「遠野物語」(3)生と死 魂の行方を見ての感想です。 石井正己教授「近代社会では、死を遠ざけようとして来たが、遠野物語の世界では、それは身近で、生と死の間がとでも曖昧なんですね」 111 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 まるで姥捨山のような風習であるが、遠くの山ではなく、(つい最近まで)集落のすぐそばに設けられていた処に特徴があるだろう。そして、墓場もまるで集落を見守るようにしてある。墓場の位置は、私の集落でも同じ位置にある。この前亡くなった伯父の墓場も実家のすぐ裏山だった。日本では、死んだ人は基本的に「天国」には行かない。すぐそばにずっといて、子孫を見守っている。やがては彼らは村の神様になるだろう。 97 飯豊の菊池松之丞という人傷寒(腸チフス)を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快し。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつつ門を入れば、紅の芥子の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎて喚び生かしたるなり。 この男の空中浮揚のあり方は、私も夢の中で覚えがある。 「喚び生かし」というのは、「眠る男」という映画でも出て来た。日本では普遍的にあるのかもしれない。 99 土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。 明治29年の三陸大津波の記憶が語られている。その子孫はいまでも田の浜にいた。以前重松清がレポートしていた。極めて文学的。元カレの存在は福ニさんには自明のことだった。子孫はその母親を赦していた。「心の復興」を描いたと教授は云う。私もそう思う。そして「久しく煩いたり」と、簡単なものではないことで結ばれているのが重要。「最後はカネ目」などと云う大臣には、到底理解出来ない複雑さだろう。
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語り伝えられる話の中には、不思議な共通点がある。その昔、山深い土地にひっそりと暮らしていた存在は、人間だけではなかったのかも・・・
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