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織豊政権と江戸幕府 日本の歴史15
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織豊政権と江戸幕府 日本の歴史15

池上裕子(著者)

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織豊政権と江戸幕府 日本の歴史15

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 2002/01/09
JAN 9784062689151

織豊政権と江戸幕府

¥385

商品レビュー

3.7

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2022/10/21
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信長の天下布武から、秀吉の検地や刀狩り、そして無謀な朝鮮出兵、さらには家康の身分固定支配などで、民衆はどう生き始めたか。中世から近世への激動を経て、保たれ続けた町村の自治とはどんなものだったか。     -20101202

Posted by ブクログ

2019/05/09

永禄十一年(1568年)の織田信長の上洛から慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣・豊臣氏滅亡までの五十年間を扱っており、主に織豊政権での政策について書かれている。 織田信長については、従来言われてきた「旧体制の破壊者、革新者」としての信長像に対して再検討がされている。例えば、比...

永禄十一年(1568年)の織田信長の上洛から慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣・豊臣氏滅亡までの五十年間を扱っており、主に織豊政権での政策について書かれている。 織田信長については、従来言われてきた「旧体制の破壊者、革新者」としての信長像に対して再検討がされている。例えば、比叡山焼き討ちに関しては、旧勢力を代表する東寺や賀茂社、北野社などが当知行安堵を受けており、大和の興福寺・東大寺・春日社・法隆寺が軍勢を差し向けるだけで攻撃をされていない事から、これは本願寺・一向一揆への見せしめとする狙いが強く、旧体制の否定までとは言えない。(P.36-P.52)  信長の革新性を象徴する政策として見られる楽市・楽座は、天正元年の越前平定の際に、橘屋(北庄の有力商人)の軽物座の権利を安堵していること、近江では建部油座の権利を安堵して、座人以外の売買を禁止している事から信長による座の保護が行なわれた例もある。このことから信長の楽市楽座政策は、座を全面否定するのではなく、楽市楽座は自分の城下町に商人・職人を呼ぶ寄せる城下町振興策であったのが実情である。(P.89-P.91) 信長の経済政策は、伊勢湾と日本海側の敦賀支配といった海運の支配、関所の廃止による流通促進、楽市楽座による商人誘致等を行った事から、経済的自由主義ではなく重商主義的政策であったと言えよう。 豊臣秀吉は、官職をすべて辞した信長とは違い、天皇・朝廷から与えられた関白という地位を大いに利用した。例えば、天正十三年に出された九州停戦令は天皇の命令であることが前面に出されており、「(秀吉は)日本六十余州の支配権を持つ天皇から関白として土地と人民に対する実際の支配(進止)を委任されている」という論理が使われている。筆者は、「秀吉は関白に武家の権力の性格を付与することによって、新たな関白像を創り出した。それは天皇・叡慮を後ろ盾とする必要があり、天皇像をも再生させた。」と述べている。(P.151-172) 秀吉と云えば、教科書的な知識だと太閤検地と刀狩りだろう。太閤検地に関しては後北条氏の領国において太閤検地より数十年前に検地が行なわれていた、天正五年(1577)には越前で柴田勝家と前田利家が丈量検地を行っていたことから、秀吉独自の画期的な政策ではないとしている。(P.172-180) 刀狩りについては、「武装解除が主目的ではなく、百姓でも帯刀するのは当然という中世の意識を変えることにあった」とする藤木久志の説に対して検討が加えられている。刀狩りの前年に起こった大規模な肥後国一揆が、翌年の刀狩り実施に大きく影響しているようだ。秀吉は一揆を恐れており、やはり武装解除が主目的であったとしている。(P.190-196) 秀吉も信長と同じく、重商主義的政策を志向していた。秀吉も関所廃止政策をしているが、役銭徴収廃止の代わりに、適切な運賃や手数料を公定して徴収している。これは「天皇・公家・寺社・商工業者らが旧来持っていた役銭の徴収権はいったんすべて否定し、その上で実際の流通を担っている者や集団に権利を付与したり、適正な手数料や運賃を公定したりして、新たな流通秩序を作り上げる政策」だったと述べられている。(P.251) 秀吉も琵琶湖湖上水運を掌握していた。それに加えて、西国への流通の掌握を目的として、瀬戸内海への玄関口を抑えるために大坂城とその城下町の建設が行なわれた。九州平定後には、海外貿易の掌握のために、博多と長崎が直轄地にされた。秀吉による生糸の買い占めは、博多・長崎だけでなく、貿易船が来航した配下大名領でも行われており、信長以上に重商主義政策を推し進めたといえよう。(P.250-263) 秀吉死後の家康による天下掌握を述べた最後の章は駆け足気味。大阪の陣に関しては家康による方広寺謀略説が唱えられていたり、安土城で信長の居住の天主の下に天皇を迎える本丸御殿が下段に設置されていた、馬揃で、信長が唐物を用いていたことから「日本の「国王」となり、東アジア世界の皇帝を夢見た信長」との記述(P.130)があり、それは勇み足かと思われる。異論がある部分もあるが、従来の織田信長と豊臣秀吉の政策を資料に基づいて再検討し、改めて彼らを重商主義者として再定義した趣旨は同意である。織豊時代を知るには、かなりお薦めだと思う。 評点 8点 / 10点

Posted by ブクログ

2018/10/06
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※このレビューにはネタバレを含みます

この巻では、室町時代末期(戦国時代)の終盤とも思われる織田信長登場と室町幕府終焉と信長による政治・文化から、本能寺の変を経て、豊臣政権になり太閤検地・刀狩り・大陸出兵が起こり、豊臣秀吉が亡くなってからの関ヶ原の戦いと豊臣滅亡となった大坂の陣まで書かれています。

Posted by ブクログ

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