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歌舞伎
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 東京大学出版会/ |
発売年月日 | 2001/05/24 |
JAN | 9784130830324 |
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歌舞伎
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羽左衛門が死んだ。若い頃は、取り方の役者が組んだ戸板の上で見得を切ったなり、横様に倒れ込んでぴくりともしないほどの動きを見せる役者だったが、晩年は「助六」の髭の意休や、「白浪五人男」の日本駄右衛門など、若手の芝居を後ろで支える役回りが多かった。こうした役者がしっかりしていないと芝...
羽左衛門が死んだ。若い頃は、取り方の役者が組んだ戸板の上で見得を切ったなり、横様に倒れ込んでぴくりともしないほどの動きを見せる役者だったが、晩年は「助六」の髭の意休や、「白浪五人男」の日本駄右衛門など、若手の芝居を後ろで支える役回りが多かった。こうした役者がしっかりしていないと芝居が締まらない。歌右衛門に続き、大事な役所を受け持つ重鎮をまたひとり歌舞伎界は喪った。 さて、そうは言いながらも着実に若手が育ち、古典芸能の中ではめずらしく裾野に広がりを持つ歌舞伎の魅力については、これまでもいろいろな人が語ってきた。その中で今年出たばかりのこの本は極めつけといえる。海外で受ける演目が「忠臣蔵」「俊寛」の二作品であることから、歌舞伎の魅力を、見かけの華やかさではなく、そのドラマ性にあると喝破する冒頭の一文もそうだが、海外における歌舞伎上演や歌舞伎研究に詳しく、「比較」作業を通して歌舞伎に迫る点が従来の歌舞伎論に比して新鮮である。 「忠臣蔵」や「俊寛」は義太夫物といわれ、本来は人形浄瑠璃のために書かれた作品である。言葉に基づいたドラマ性が強いこれらの作品に西洋の観客が惹かれるのは理解できる。しかし一方で、歌舞伎には名もない市井の生活者を主人公とし、実際に起こった日常的な事件を題材にした生世話物と呼ばれる作品群がある。近松の心中物に始まり、盗人、殺人者といったアウトローを好んで描く南北、黙阿弥の世界に至るこの系譜こそ、歌舞伎のもう一つの側面を担うものである。 芸術の様式には二つの系列がある。演劇でいえば、ギリシャ悲劇に始まる「三一致の法則」に従って、合理的な本当らしさを追求し、ドラマ本位のセリフ劇たらんとする古典主義系の演劇がその一つ。もう一方は、コメディア・デラルテやシェイクスピア劇などの自由奔放で融通無碍、スペクタクルを好みシアトリカルなバロック系演劇である。著者は、歌舞伎を「バロックの典型」と見る。 中世における「能」の古典主義的世界から近世の歌舞伎のバロック的世界への変化がイエズス会の教会演劇に発するという丸谷才一の指摘をかつて読んだことがあるが、この本を読むと、それが作家の突拍子もない仮説とは思えなくなる。広い世界的な視野から歌舞伎を見るという視点はこれまでの歌舞伎論にない普遍的な歌舞伎解釈が持てるということでもある。 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と「妹背山女庭訓」のプロットの類似をあげながら、終始意志的に行動するロミオたちと、親の言葉や主命に従順に従う妹背山の登場人物たちのちがいを、それぞれの背負った世界観に見、「妹背山」を「諒解と諦観の悲劇」とするその歌舞伎観は封建主義的秩序の持つ非人間性を突いて鮮やかである。 阿国歌舞伎から若衆歌舞伎、そして野郎歌舞伎へと、歌舞伎は為政者の弾圧を受けながらもその都度生き延びてきた。弾圧を受けるということは、それだけ力があるということである。「菅原伝授手習鑑」の武部源蔵が、主君のため幼い寺子を手に掛けるとき言う有名な台詞、「せまじきものは宮仕え」が、明治以来、終戦まで「お宮仕えはここじゃわい」と、全く逆の意味を持つセリフに替えられていたという事実は、権力が歌舞伎の持つ潜在的驚異をよく知っていたことを物語っている。「忠臣蔵」や「寺子屋」が忠義や武士道の賛美を歌っているように見えながら、実はそれらのために泣く庶民の心を描いてきたことを最も理解していたのは権力の側だったのかもしれない。 しかし、戦乱の世も過去となった文化文政期になると、南北描く「四谷怪談」のような怪奇残酷な世界が現れてくるのは、いつに変わらぬこの国の無宗教、現世享楽の世界観ゆえであろうか。著者は、それらを現代に似た生命の尊さを忘れた泰平の世の産物であるという。現実世界の殺人はいただけないが、劇の中なら、どれだけ怪奇であり、残虐であってもいっこうに構わない、と私は思う。問題は想像力の方が、現実に追いつかないことの方にあるのではないか。 著者は黙阿弥の曾孫にあたる。歌舞伎をよく知る人、あまり知らない人のどちらにも読んでほしい。入門書扱いするにはもったいないけれど、歌舞伎の世界を知るためには上質のガイドブックとなる本である
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大学の文学の授業とかで使う教科書のような一冊でした。 筆者の方は河竹黙阿弥の血のつながらないひ孫さんらしいので、読んで見たのですが、非常に読みやすく面白かったです。
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