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ホワイト・ティース(下) 新潮クレスト・ブックス
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ホワイト・ティース(下) 新潮クレスト・ブックス

ゼイディースミス(著者), 小竹由美子(訳者)

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ホワイト・ティース(下) 新潮クレスト・ブックス

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社/
発売年月日 2001/06/30
JAN 9784105900243

ホワイト・ティース(下)

¥220

商品レビュー

3.8

4件のお客様レビュー

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2021/10/03

行動力のある移民たちが社会では異端扱いになって行きがちなのは何故? 分断を排除し、寛容の社会になって行くための説得や強制を減らしていくには「不寛容」が主軸になって行く。そのためのキーワードは「なんとなく」。。。 下巻は皆がバラバラでパワーを枯渇、そして次に見えてきた世界は~そん...

行動力のある移民たちが社会では異端扱いになって行きがちなのは何故? 分断を排除し、寛容の社会になって行くための説得や強制を減らしていくには「不寛容」が主軸になって行く。そのためのキーワードは「なんとなく」。。。 下巻は皆がバラバラでパワーを枯渇、そして次に見えてきた世界は~そんな世界だった。 逡巡の塊り、煮え切らないアーチ―が消えてしまったような影の薄さ・・でも終わってみれば一番ノーマルだったかも。 クララが義母の宗教に反発してがちゃがちゃになる姿 サマードと若い嫁の絶えないけんかの明け暮れ・・ 美男子の双子マジドとミラド・・一方はバングラデシュの正統を求めさせたのに逆に英国正当になってしまうのは笑える そしてミラド・・パンク・ピッピ―?!英国の若者の点景のような自由溢れる若者に。 皆がアドバルーンの様に空に広がって行き、最後の光明を幽かには感じたが。

Posted by ブクログ

2021/08/05

図書館で。 本屋で文庫版を見かけたものの、初めて読む作家さんだし…と図書館で借りてみました。正直ちょっと読み終えるのがしんどかったので、図書館で借りてヨカッタ。 登場人物がとにかく多い。そして彼らの背景というか、色々なゴタゴタが付随してきてその描写が長い長い。それが人生よ、と言...

図書館で。 本屋で文庫版を見かけたものの、初めて読む作家さんだし…と図書館で借りてみました。正直ちょっと読み終えるのがしんどかったので、図書館で借りてヨカッタ。 登場人物がとにかく多い。そして彼らの背景というか、色々なゴタゴタが付随してきてその描写が長い長い。それが人生よ、と言われればそうなんだろうけど、大したこともない人間が大したこともしてないエピソードがてんこ盛りでナンダカナ、となるというか。ま、そりゃぁ物語の主人公のような人生送っている人の方が少ないでしょうけれども。 そして二人の主人公男性の言動が一々カンに触る。まぁ70年代80年代のオッサンなんかそうでしょうよ、とも思うけれども愛すべき存在とは到底思えないし。個人的にはもっとクララが主人公的立場になるかと思ったら、違ってましたね。どちらかというとパキスタン一家の方が色々とすったもんだあって、でもその行動と思考回路のほぼすべてに共感出来ないというある意味面白い作品だったかな、とは思いますが。 後は海外ならではの文化というか、通りを一本隔てただけで区画が変わり、金持ちエリアと貧乏人エリアに隔てられているとか、学校での微妙な人間関係とかが日本人の自分にはわかりにくいというのはあるかも。彼らが感じている疎外感とか、生まれた国に属さない不安定さとかはわからないんだろうなぁと思いました。 登場人物の感情に寄り添わずに、一歩引いた視点から書いている感じなので何とか読み終えました。でもこういう系の作品だったら、私は「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」の方が好きだなぁ。 アルシ的に言えば「面白かったかも。でも面白くなかったかもね。」という感じでしょうか。

Posted by ブクログ

2015/06/27

イギリスのドタバタって、アメリカのドタバタよりもえげつない気がします。 とにかく極端から極端へ、振れ幅がハンパない。 君たちには中庸という言葉がないのか!と言いたくなります。 しかし、中心人物の一人であるアーチーが、中庸の人でした。 下巻になって影が薄かったから、忘れてました。...

イギリスのドタバタって、アメリカのドタバタよりもえげつない気がします。 とにかく極端から極端へ、振れ幅がハンパない。 君たちには中庸という言葉がないのか!と言いたくなります。 しかし、中心人物の一人であるアーチーが、中庸の人でした。 下巻になって影が薄かったから、忘れてました。 唯一の、純粋なイギリス人で、とことん何かを決定することのできない男、アーチー。 最初の結婚に失敗し、自殺を図って失敗し、なりゆきで(?)かなり年下のジャマイカ系イギリス人クララと再婚。一人娘アイリーを得る。 大学を出ているというのに、仕事はチラシを折りたたむこと。 そこには何の判断もいらないから。 アーチーの親友が、先の戦争で同じ部隊にいたインド系イギリス人サマード。 学があり、野心があり、仕切りたがりのサマードは、戦争で片手が不自由になったために英雄になることができなかったことが無念でたまらない。 いとこが経営するレストランで給仕として働いているものの、世の中に不満だらけ。 自分の娘のように若いアルサナは、黙って夫に従うようなタイプではなかったために、夫婦の間にケンカが絶えない。 サマードの双子の息子マジドとミラト。 サマードは何とか息子二人を敬虔なムスリムとして育てたかった。 とりあえず長男を故郷のバングラディシュに送り出したのだが、戻ってきたマジドはイギリス人よりもイギリス人的な、論理を最大の武器にする上っ面だけの紳士だった。 手元で育てたミラトは、そんな親や兄弟に反発するように自堕落な生活を送り、気がつけばがちがちのイスラム原理主義者たちと行動を共にするようになる。(しかし映画やロック、酒やマリファナなどの西洋の悪癖を捨てきれないことは内緒だ) アーチーの義理の母ホーテンスは、熱烈なエホバの証人の信者である。 今の生活に、考えない様にしているが数々ある不満はさておき、最後の審判の日、神に許される人の中に入るように、神が望むことはすべてやる。 神に許されることが、ホーテンスの生きた証になるはずなのだ。 娘クララにも布教活動をさせていたのだが、クララは思う。 救われる人が少なすぎる。もし自分が神に許され楽園に行けたとしても、自分の足元に数え切れないほどの救われなかった人たちの屍があるとするのなら、それは本当に楽園と言えるのだろうか。 宗教から離れるために、家から出るために、結婚するクララ。 とにかくとにかく極端な人たちばかりが出てくる小説。 人物紹介が物語になっているような気までしてくる。 これ以外にもまだ極端な人たちがたくさん出てきて、それぞれに交錯して、最終的に一堂に会するシーンが圧巻。 どうなるんだろう、どこに着地するんだろう。 これは移民の物語なんです。 常にここは自分の場所ではないと思いながら生きていく。自分の居場所探しに人生を費やす人たちの。 そして、子ども世代のアイリー、マジド、ミラトたちは、イギリスで生まれ育っているのにイギリス人ではない自分をもてあまし、家族に反発する。 みんなバラバラ。 みんな、自分のことばかり。 移民は新しい血を運んでくるはずなのに、社会の端っこに追いやられているのはなぜ? 極端なことをしないと認めてもらえないのはなぜ? 最後の最後に、この物語の主人公がくっきりと立ち現れる。 みんながおんなじになるのでも、みんながバラバラになるのでもない。 みんながなんとなく仲良く一緒に暮らせないかな? この「なんとなく」がいいと思うのね。 先日読んだ伊坂幸太郎の「死神の浮力」を思い出す。 寛容は自分を守るために、不寛容に対して不寛容になるべきなのか。 「寛容」にとっての武器は、「説得」と「自己反省」しかない。ただ「寛容」によって、「不寛容」は少しずつ弱っていく。「不寛容」が滅亡することはなくとも、力が弱くなるはずなのだ 排他的な不寛容の世界から、なんとなく寛容な世界へ。 21世紀がそんな世界になれるよう、祈る気持ちで本を閉じる。

Posted by ブクログ

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