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失われた時を求めて(11) 第六篇 逃げ去る女
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失われた時を求めて(11) 第六篇 逃げ去る女

マルセル・プルースト(著者), 鈴木道彦(訳者)

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失われた時を求めて(11) 第六篇 逃げ去る女

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 2000/03/22
JAN 9784081440115

失われた時を求めて(11)

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2013/03/07
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<第六篇のあらすじ> 家を出たアルベルチーヌがトゥーレーヌにいることを知った「私」は、ロベールを介して彼女を連れ戻そうとするが、うまくいかない。そのうちに彼女が散歩の途中で落馬して死んだことを知らされる。その死が彼女の秘密を明らかにし、「私」は嫉妬に苦しめられるが、次第にアルベルチーヌのいない生活に慣れる。そんな折、母と訪れたヴェネツィアでジルベルトとロベールの結婚を知らされる。そのロベールも今ではソドムの国の住人となり妻を顧みない。「私」は、懐かしいタンソンヴィルをたびたび訪れてはジルベルトと二人で散歩を楽しむのだった。 さしもの長い小説もそろそろ終局が近くなったことを感じさせる。ミステリなら謎解きに入る頃合。「私」をあれほど悩ませていたアルベルチーヌと女友だちの関係は、予想通りゴモラのそれであった。ただ、アンドレによれば、アルベルチーヌの「私」に対する気持ちは本物で、「私」との結婚によって過去を断ち切ろうとしていたようだ。かつてジルベルトに偽りの手紙を書くことが、いつのまにか真実になっていったように、アルベルチーヌに対する「私」の嫉妬心や自尊心からくる本心を隠した冷たい言葉が彼女を去らしめ、ついには死に至らせたことに「私」は思い至る。 「私」に、それまで見えていなかったことが次々と表面に出てきて、「私」を取り巻く貴族たちの世界や少女たちの世界の縺れ合った様相が明らかになる。アルベルチーヌはアンドレのような娘ばかりでなく、モレルとも関係があった。モレルの美貌に惹かれて寄ってくる娘たちと関係を持つためにだ。そのモレルは、あれほど世話になったシャルリュス男爵と距離を置き始め、甥であるロベールへと関心を移し、ロベールもそれに応えているらしい。 社交界の主題も大きく変化を見せる。かつて夫のスワンとは親しくしながらも高級娼婦上がりのオデットだけは自分のサロンに招こうとしなかったゲルマント公爵夫人だったが、二人の子ジルベルト(今はフォルシュヴィル伯爵令嬢)をサロンに招くことを承知する。マルサント夫人は、スワンがジルベルトに遺した持参金ほしさに息子ロベール・ド・サン=ルーをジルベルトと結婚させようとする。ここに至り、以前はあれほど離れていると思われたスワン家の方(ユダヤ人社会)とゲルマントの方(名門貴族)が結ばれるのである。 「私」はといえば、真実を知ったことで嫉妬心に苦しめられながらも、今ではアルベルチーヌの目で娘たちを見るようになり、彼女が愛したように娘たちを愛したいと考えるようになっている。アルベルチーヌのいない寂しさを紛らわすために貧しい少女に金を与え、部屋に呼んだ「私」は、警察の尋問を受けることになる。しかし、その後も自分の傍に少女を置くことに固執する。かつてジルベルトやアルベルチーヌに惹きつけられた「私」にとって欲望を感じるためには彼女たちと同じ少女であることが必要で、はからずも「私」の欲望が「少女愛」のそれであることが明らかになる。これは、後にナボコフが『ロリータ』で追求することになる主題の前触れであろう。 そのときは特になんとも思わずに読みすごしていたことが後になって重要な意味を帯びて甦ってくるという仕掛けは、この大長編がいかに構造的に作られているかということを示すものだが、ようやく訪れたヴェネツィアでカルパッチョの絵の中にアルベルチーヌが最後の散歩のときに着ていたフォルトゥニーのコートを見つけるところや、ジルベルトの文字の書き癖が、ジルベルトからの手紙を死んだアルベルチーヌからのものとまちがわせるところなど、実に手が込んでいて精読の楽しみを堪能させてくれる。 想像していたものが現実によって裏切られるというのがプルースト的主題だが、事あるごとに言及されてきたヴェネツィアだけはそれから免れていて、大小の運河や水路によって迷路のようになったこの水上都市の魅惑を「私」の筆は余すことなく伝えている。愛する母と二人きりの滞在であったことが、それを可能にしているのだろう。その証拠に母と諍いをした後のヴェネツィアは、ただの石の寄せ集めにしか見えない。愛する女も、美しい建築も「私」という主観を通してのみ、価値ある対象として目にも映れば言葉にもなるのだ。

Posted by ブクログ

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