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異聞関ケ原合戦
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異聞関ケ原合戦

古川薫(著者)

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異聞関ケ原合戦

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋/
発売年月日 2000/04/30
JAN 9784163561707

異聞関ケ原合戦

¥220

商品レビュー

2.3

4件のお客様レビュー

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2015/04/07

まさに。異聞関ヶ原合戦小説でした。 ただ著者は、毛利氏や長州藩に関する著作が多く毛利氏に視点を当ている記述が多い。

Posted by ブクログ

2012/04/08

主に毛利氏寄りに解説がなされる、関ヶ原合戦の様子。 「輝元をめぐる秘話」として2つのエピソードを語る章、 「よみがえる西南雄藩」として、関ヶ原敗戦を経て、 長州・薩摩が倒幕に至る概略を語る章があり、 毛利氏や島津氏について楽しく読むことができます。 「逆転関ヶ原」では、小早川...

主に毛利氏寄りに解説がなされる、関ヶ原合戦の様子。 「輝元をめぐる秘話」として2つのエピソードを語る章、 「よみがえる西南雄藩」として、関ヶ原敗戦を経て、 長州・薩摩が倒幕に至る概略を語る章があり、 毛利氏や島津氏について楽しく読むことができます。 「逆転関ヶ原」では、小早川の前進と、毛利氏の出動、 どちらが先に行われたのかわからなくて、消化不良になりました…。 「異聞」だけあって、関ヶ原合戦のサイドストーリーとして読む本です。

Posted by ブクログ

2010/06/13

 私は山口県の出身で、毛利氏のことは小さい頃から何かと聞かされて育った。また小学校の社会科では江戸時代の毛利氏の行政施策も習った。防長の三白(米、塩、紙・・・そう言えばこれに蝋_ロウ_を加えた四白も聞いた記憶がある)の事もその時に覚えた。  以上のような経緯もあり(それだけでは...

 私は山口県の出身で、毛利氏のことは小さい頃から何かと聞かされて育った。また小学校の社会科では江戸時代の毛利氏の行政施策も習った。防長の三白(米、塩、紙・・・そう言えばこれに蝋_ロウ_を加えた四白も聞いた記憶がある)の事もその時に覚えた。  以上のような経緯もあり(それだけではないが)関ケ原で圧勝した徳川をどうも好きになれない。そして幕末に薩長連合が徳川幕府を倒すことで仇をとったような気分になり折り合いをつける。まっ、この辺が山口県出身者の共通した気持ちだと思う。  著者の古河薫氏は山口県の出身で、山口新聞の編集局長経て文筆活動に入り1991年に直木賞を受賞する一寸変わったの経歴の持ち主です。  この本は第一に、関ケ原合戦前後の各大名が、水面下でどのような駆引きを行い、結果としてどのようにな行動をとったかを書いている。更には、もし関ケ原の合戦で毛利氏が日和見を決め込まなければ・・・ との仮説も「断章 逆転関ケ原」を設け記している。  第二には、関ヶ原後豊臣恩顧の大名で徳川に味方したものたちの盛衰と、薩摩・長州が何故幕末に倒幕の中心を担えたかを記している。薩摩・長州で250年間も打倒徳川が連綿と受け継がれていくのは興味深い。日本版「リメンバー・パールハーバ」だね。  さて、今回私が興味を引かれた箇所を引用する。 ****引用開始**********  おおまかにいうと関東は、お米の経済であり、鉱物物質にめぐまれた中国地方は大内・毛利時代から銀の経済であり、それが貿易事業に直結した。  関ケ原役で徳川氏が勝利したことは、単に支配力が全国におよぶだけでは無く、経済的な体質を一変させた。国を閉鎖することによって、米穀を基本とする経済体制に統一するほかなかったのだが、米の生産はほぼピークに達しており飛躍的な耕地面積の拡大はのぞめない。人口の増大とともに、米の経済が行き詰まるのはさけられない経済構造だった。  大名経済は衰弱の一途をたどり、富裕化はおろか宿命的な税制逼迫に追いこまれていくのである。  大名統制には成功したが、徳川幕府は成立時からおよそ国家という概念を喪失した亡国的な道をあゆみはじめたのだ。二世紀半を経て、幕府をはじめ全国の大名が財政破綻の危機に直面したのは当然の帰結だった。  財政窮乏により大名たちが借金まみれになる情況は、すでに関ケ原役から半世紀も経ないうちからきざしはじめている。  財政豊かだった幕府も四代将軍家綱の時代に使い果たしてしまい、以後悪化の一途をたどって、吉宗が八代将軍になった18世紀初頭のころは、最悪の状態となった。 *******引用終わり*******  結局、江戸幕府は財政的には破たんすることが約束されており、幕府やほとんどの藩は幕末までの期間、財政改革に取り組んだり借金を踏み倒したりしていたことになる。  ほとんどの大名が段々と貧乏になる中で、毛利藩は先ほどの防長の三白(四白)の増産をはじめとする財政改革に成功し、幕末の頃は大変裕福な藩になっていたらしい。

Posted by ブクログ

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