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トロツキー わが生涯(上) 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 2000/12/18 |
JAN | 9784003412794 |
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トロツキー わが生涯(上)
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商品レビュー
3.6
5件のお客様レビュー
厚い文庫である。し…
厚い文庫である。しかも私は無学であるため、革命の歴史的な意義などについて理解したとは言い難い。しかし、一人の人間が革命に身を投じて、情熱を燃やして行動し、闘い、生きたことを感じることはできた。トロツキーの文章は闘志があるように思う。訳文だけどね。
文庫OFF
冷静かつ鋭利な分析で…
冷静かつ鋭利な分析で革命家としての自己形成を跡づけた本書は、精彩に満ちた比類のない記録である。上巻には幼年期から一九〇五年革命を経て、一九一七年の二月革命前後までを収める。
文庫OFF
トロツキーは、1905年と1917年のロシア革命に参加し、レーニン政権の下ソ連の軍事会議議長まで務めたが、スターリンとの後継争いに敗れたあとは、反逆分子として追放・暗殺される。 本書は彼が50歳のトルコ亡命中に出版された自伝だ。 自身の半生を追ったこの自伝で主に述べられているの...
トロツキーは、1905年と1917年のロシア革命に参加し、レーニン政権の下ソ連の軍事会議議長まで務めたが、スターリンとの後継争いに敗れたあとは、反逆分子として追放・暗殺される。 本書は彼が50歳のトルコ亡命中に出版された自伝だ。 自身の半生を追ったこの自伝で主に述べられているのは、所謂『永続革命論』と呼ばれる、政治革命から社会革命へと転換して続く彼の理論が、二月革命と十月革命の2度のロシア革命を予言していたこと。 そして、執筆当時彼を追放していたスターリン政権に対する批判と、自分こそが革命家である、という自負である。 また、社会労働党に参加した当初は必ずしもレーニンと意見が一致していなかったことも明確に述べられている。 スターリン時代に彼が反逆者と言われた所以である。 自伝の中で、自らレーニンとの相違をはっきり書いていることにはやや驚いた。 スターリンの伝記も読んだが、2人を比較すると、スターリンがより国家主義的であり、経済、技術及び軍事的発展を目指していたように見える。 対してトロツキーは、共産主義をより深く信奉している理想家で、平等という概念や革命そのものへの傾倒が見られる。 共にレーニンの後継者候補であったが、スターリンが実際にリーダーの座につき、ソ連を重工業国へと転換させ、国際社会における大国の地位を獲得し、ナチス・ドイツとの戦争を勝利に導いた。 この自伝上巻を読みつつ、トロツキーがリーダーになっていたら、という「もし」を考えたときに、スターリンをもギリギリまで追い詰めたヒトラーにトロツキーが勝利したとは考えられなかった。 下巻で更に深く考察してみたい。 文章は大変いきいきとして、単純に読み物としても面白い。 トロツキーは文学や芸術に造詣が深かったそうだが、それが存分に発揮されている。 本書を手にしたのは、駒井稔さんの『トロツキーの自伝は良い』という言葉だったが、全くそのとおりだ。 いい本に出会えた。 今読むきっかけを与えたくれた駒井さんに感謝です。 以下、メモとして年表。 1879 トロツキー生誕 1898 最初の逮捕。ヘルソン、オデッサ監獄 1900 シベリア流刑、一度目の結婚 1902 脱走、チューリヒ→パリ→ロンドン。レーニンに出会う 1904 ミュンヘン 1905 ペテルブルク。ロシア革命(不成功)。二度目の逮捕 1906 二度目の流刑判決 1907 脱走→ロンドン→ウィーン。『プラウダ 発行』 1914 第一次大戦勃発。パリへ。 1916 フランス追放→スペイン→ニューヨーク 1917 ロシア二月革命。投獄カナダ・アムハースト。
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