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「健康」の日本史 平凡社新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 平凡社/ |
発売年月日 | 2000/12/13 |
JAN | 9784582850680 |
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「健康」の日本史
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
確かだいぶ前にかなみちゃんが紹介してくれてたこの本(https://www.facebook.com/1481928367/posts/10218878016249731/)。読みたくて探してたんだけど、近くの図書館にはなく、本屋さんでは取り寄せもできず、Amazonで買うのもヤ...
確かだいぶ前にかなみちゃんが紹介してくれてたこの本(https://www.facebook.com/1481928367/posts/10218878016249731/)。読みたくて探してたんだけど、近くの図書館にはなく、本屋さんでは取り寄せもできず、Amazonで買うのもヤだなぁ、と思っていたらメルカリで発見。しかもAmazonより安い。メルカリは意外に穴場かも。 内容は、 「健康」という訳語の定着までのいきさつとその語の表す内容。…これは概ね予想通り。 この「健康」という訳語を一般に広めた福沢諭吉の「健康」観と、その思想の変遷。…個人が自立することを目指した『学問のすゝめ』から、ひとりひとりの自立を「あきらめ」て、「国家」主体で国民を活用していくという方向に舵を切った福沢諭吉さん、めっちゃ共感する…。 そして、徴兵された平民の軍事教練として発展してゆく体操について。この章はなかなか面白うございました。武士と徴兵の関係、大学対抗野球や運動会がどのように始まったのか、とか。 その後の章では、主観的に存在を感じる「身」のあり方と、「もの」として客観的に存在する「身体」のあり方について説明がなされるんだけど、 p.141に「当時、「もの」の存在を客観的に証明する必要はなく、気のせいであろうとなかろうと関係なくて、主観的に経験されるものが非常に大切にされました。問題となるのはその意味や解釈であって存在ではありませんでした。」と書かれていることには「おおっ」と変な声が出た。「気」とか「身は内臓を無造作に詰め込んだ一つの大きな袋」とか、お馴染みの考え方が述べられた後だから尚更。 また朱子学についての言及(p.138-140)も興味深い。 「身」と「身体」の指すものが違う以上、「身」に対して行う「養生術」と、「身体」に対して行う「健康法」「体操(運動)」の意味合いが違ってくるのは当然のことでしょう。養生がものごとの善悪と結びついており、その質を問うものであったことに対し、体操はそうではなく、倫理とは関係なく、質よりも量(回数)で誰の目にも見えるものでした。 そして、この転換を促したものが西南戦争で、もののふとして勇敢を誇った武士が内面を重視することなく身体を鍛えただけの平民に敗れるという事件であったことが強調されています。 次の章では、徴兵検査の必要から身体検査が始まり、兵式体操が学校教育に取り入れられていった経緯、学校に行かない人の「教練」の必要性から国体、そしてラジオ体操ができてきた経緯が書かれています。民族意識と連帯感を高めることもちゃんと目指されていたこのラジオ体操は日本人に喜んで受け入れられていったそう。 最後まで読んで、読む前に想像していた内容とだいぶ違っていたことに驚いている。 前半の、身体の諸機能が客観的に問題のないのが西洋医学の訳語である「健康」で、自覚的に元気で問題のないのがそれまでの「健やか」とかいうことだった、という、その東洋的な「健やか」で「元気」な状態を私は維持したいと思っている。 終末期医療に携わる医者たちがよく言っているのが「枯れていけば苦しみなく死ねる」ということ。この指摘は一考に値すると思う。が、少しでも長生きしたいのも事実。だけどギリギリまで普通に過ごし、最期は短期間のうちに枯れて自然と亡くなるのがいいなとも思う。昔の人はぽっくり死にたいとよく言ってたけど、ぽっくり死ぬためには、病気の早期発見とかしてちゃ無理だよね。 とはいえ「命コンジョーの汚いヤツ」と称された経験さえあるわたしですから、どういう最後を迎えるのかみっともなく悩むんだろな〜。
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近代日本の来歴を考える上で極めて示唆に富む著。ここでも体育の濫觴として福沢諭吉に出会うことになる。生理学的な尺度のもとづく「健康」という思想が、道徳的な尺度に基づく「養生」を笑い、駆逐するのである。養生は「慎み」に通じたが、体育はフーコーの例の議論のように、軍隊→統制・数値化→学...
近代日本の来歴を考える上で極めて示唆に富む著。ここでも体育の濫觴として福沢諭吉に出会うことになる。生理学的な尺度のもとづく「健康」という思想が、道徳的な尺度に基づく「養生」を笑い、駆逐するのである。養生は「慎み」に通じたが、体育はフーコーの例の議論のように、軍隊→統制・数値化→学校→最低ラインの体力の確保→ラジオ体操・運動会などという近代日本の制度として立ち上がる。柔術は柔道になり、忠信や個人のプライドというより、教育的健康的視点から考案される。転機となったのは、やはり西南戦争、封建時代の武士が、統制された(だが素人揃いの)近代軍隊に敗北したことだった。ただし、剣術だけは、政府軍が兵力保存と教育のために士族を警察として雇い入れることにより、警察剣道に保存されるという皮肉な結果となった。
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タイトルにひかれた。「健康」という考え方に興味がある。一体どういう状態を健康というのだろう。健康のためにとジョギングを始めて膝を痛める人はどうなるのだろう。健康のために時間をかけてウォーキングをして、近くのスーパーへは車で行く人はどうだろう。いずれにせよ、いまほど「健康」を気にす...
タイトルにひかれた。「健康」という考え方に興味がある。一体どういう状態を健康というのだろう。健康のためにとジョギングを始めて膝を痛める人はどうなるのだろう。健康のために時間をかけてウォーキングをして、近くのスーパーへは車で行く人はどうだろう。いずれにせよ、いまほど「健康」を気にする人が多い時代はなかったのではないだろうか。もちろん、昔から少しでも長生きはしたいと思っていたに違いない。だけど、健康のためにこれほどお金と時間をかけられるようになったのは、つい最近のことだろう。確かに意識して運動しなければ、体を動かす必要が無くなる傾向はこれからも続くのだろう。すごく無駄な気がするけど。さて、本書では「健康」ということばの起源を探ることによって、その時代における健康観を探ろうとする。19世紀中頃、つまり江戸時代の終わりに、緒方洪庵が著書のなかで「健康」という言葉を使っているらしい。しかしこの言葉とその意味が定着するのは、明治の始めに福沢諭吉が使うようになってからのようだ。何のために「健康」という考え方が必要になってきたのか。それはおそらく外国との戦争を目前にひかえ、皆の体力が重要な意味を持つようになったからなのだろう。ラジオ体操は昭和の初めに始まる。皆がいっせいに同じ動きをする。よく考えるとちょっとこわいような気もする。そんなころにつくられたものが、少しは変わってるだろうが、今でも行われている。これもちょっと気になる。また、同じころ「健康優良児」の表彰も始まる。これにはいろいろ問題点が多く、わりと早い段階で打ち切られているようだ。健康優良児は当時早死にだったようだ。すぐ戦争にかり出されるから。さて本書に唯一ある写真を見てみる。そこには12歳位の少年少女が上半身裸で写し出されている。著者は子どもたちが誇らしげな顔をしていると書いているが、僕には胸のふくらみ始めた少女のいやそうな顔の方が印象的だ。これが当時の普通の教室風景だとしたら少し考えを改めないといけない。いつのころが、男女は机を並べてはいけないと言われていたのだろう。健康優良児の写真にも、上半身裸の少女の写真が載っている。今なら大きな問題にされていることだろう。ところで、小5や小6でも体育の着替えは同じ教室というのは、うーん、僕のころもそうだったかなあ?本書に対する不満が1つ。ほとんどふりがながふってないということ。読めない漢字が結構多くて困った。
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