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司馬遼太郎の「かたち」 「この国のかたち」の十年
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
発売年月日 | 2000/06/30 |
JAN | 9784163563602 |
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司馬遼太郎の「かたち」
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司馬遼太郎が文藝春秋の巻頭随筆「この国のかたち」を書き始めてからの10年を追跡した評論で、最後の解説を徳岡孝夫が書いているが、「著者関川は、描写は真に迫り、読者に森の巨木のように倒れて行く国民作家の最後を眼前に見る思いをさせる」というように、明るい小説とは違う憂国の士である司馬の...
司馬遼太郎が文藝春秋の巻頭随筆「この国のかたち」を書き始めてからの10年を追跡した評論で、最後の解説を徳岡孝夫が書いているが、「著者関川は、描写は真に迫り、読者に森の巨木のように倒れて行く国民作家の最後を眼前に見る思いをさせる」というように、明るい小説とは違う憂国の士である司馬の姿を見事に語っている。 日本とは何か、日本史とは何かということを、ほぼ生涯にわたって考えつづけて表現しつづけてきた司馬が、文藝春秋から依頼された時に「10回程続けてみます」と言っていたのが、死ぬ直前まで続くライフワークとなった。 改めて「この国のかたち」の本文を読むと、思想とか、国家の統一ということについて、端的に凝縮された素晴らしい文章だと思う。 以下にその例を挙げる。「この国のかたち」の第一回目の書きだしは、 <―日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている>から始まる。 <かつての日本がそういうものを生み出さなかったというのは、べつにはずかしいことではない。普遍的な思想がうまれるには、文明上の地理的もしくは歴史的条件が要る。たとえば、多様な文化を持つグループ群が一つの地域でひしめきあい、ときに殺しあうという条件のもとで歴史が熟すると、グループ群を越えた普遍的思想が出てくる> <ともかくも日本の場合、たとえばヨーロッパや中近東、インド、あるいは中国のように、ひとびとのすべてが思想化されてしまったというような歴史をついにもたなかった。これは幸運といえるのではあるまいか> そして第3回において <一人のヒトラーも出ずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか> 第4回「統帥権の無限性」の冒頭で、司馬にしてはめずらしく激語を書きつけた。<―あんな時代は日本ではない>と。 日露戦争後「だらしない成熟」に向かう日本を、司馬遼太郎という巨大な青春小説家が、ついに書かなかったのは、おそらく生理的理由からである。「普通の立派な人々」も、やがてとんでもないことに手を染めるという事実を、司馬遼太郎は知りつつ、書きたくなかった。そのため、ことさら日露戦争から敗戦までを特別な40年、断絶の40年、「異胎」の跳梁した40年と強調した。 文藝春秋に連載されていた頃は、司馬遼太郎にしては読みずらい内容(意味は分かるのですが重い内容)だなと思っていました。 今回改めて「この国のかたち」をもう一度、読もうと思う背中を押してくれる一冊でした。
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司馬遼太郎は、手紙を書く人であったらしい。それも半端な数ではなく。その著作に匹敵するくらいの手紙を書いたのではないか、と言われていたりもする。「この国のかたち」は、1986年に司馬遼太郎が文芸春秋誌に連絡を開始し、1996年に亡くなるまでの10年間書き続けたものである。司馬遼太郎...
司馬遼太郎は、手紙を書く人であったらしい。それも半端な数ではなく。その著作に匹敵するくらいの手紙を書いたのではないか、と言われていたりもする。「この国のかたち」は、1986年に司馬遼太郎が文芸春秋誌に連絡を開始し、1996年に亡くなるまでの10年間書き続けたものである。司馬遼太郎は、「この国のかたち」の原稿を編集部に届ける際、編集長宛に必ずと言ってよいくらい手紙を添えていたそうである。この本は、関川夏央が、それらの手紙をもとに、「この国のかたち」を書いていた時期の司馬遼太郎、すなわち晩年の司馬遼太郎「論」的なものを書いたものである。「論」と、わざわざカッコ付にしたのは、この本が論文ではなく、むしろ、晩年の司馬遼太郎の事績や行動、考えを「紹介」したうえで関川夏央自身の「感想」あるいは「感慨」めいたものを書いたもののように思えるからである。「この国のかたち」は読んだことがないが、この本を読むと、それを無性に読みたくなるし、それだけではなく、司馬遼太郎の他の本も全部読みたくなってしまう。
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