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熊 他三編 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2000/06/19 |
JAN | 9784003232330 |
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熊
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商品レビュー
4.1
12件のお客様レビュー
フォークナーによる、「熊」「むかしの人々」「熊狩」「朝の追跡」と森での狩猟をテーマにした短篇を収録。それぞれ人物に関連性があり、時間をおかずに通して読むと読みやすいです。 特に表題作の「熊」が良かった。少年が、大人たちと狩りをともにすることにより、自然との共生を学び取ってゆく成...
フォークナーによる、「熊」「むかしの人々」「熊狩」「朝の追跡」と森での狩猟をテーマにした短篇を収録。それぞれ人物に関連性があり、時間をおかずに通して読むと読みやすいです。 特に表題作の「熊」が良かった。少年が、大人たちと狩りをともにすることにより、自然との共生を学び取ってゆく成長物語。 狩猟というと、なんだかかわいそうな気がしてしまいますが、大熊との対決は、迫力があって読んで良かったと思いました。
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熊 他三篇 (和書)2008年10月31日 15:41 2000 岩波書店 フォークナー, William Faulkner, 加島 祥造 熊はとても面白かったよ。 南部アメリカの白人・黒人・インディアン・森・野生動物・そして木材工場等の関係の批判がとても秀逸でした。 自己疎...
熊 他三篇 (和書)2008年10月31日 15:41 2000 岩波書店 フォークナー, William Faulkner, 加島 祥造 熊はとても面白かったよ。 南部アメリカの白人・黒人・インディアン・森・野生動物・そして木材工場等の関係の批判がとても秀逸でした。 自己疎外しているものを自己批判しているのような感じ。マルクスとフォークナーを関連づけると面白そうな気がする。
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人はだれしも「神」について考えることがある、ということに異論ある者はいないだろう。 しかし神の姿を直接見たり、神の声を直接聞いたりした者は実際上は存在しない。そう言うと、いや、長い歴史のなかで神の姿や声を見聞きしたことがあるという者はいるではないか、と問うてくる者は多いかもしれな...
人はだれしも「神」について考えることがある、ということに異論ある者はいないだろう。 しかし神の姿を直接見たり、神の声を直接聞いたりした者は実際上は存在しない。そう言うと、いや、長い歴史のなかで神の姿や声を見聞きしたことがあるという者はいるではないか、と問うてくる者は多いかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。当たり前と言えばそうだが、それらはすべて人の姿、人の声によるものである。つまり、私たちは人間を介することでしか神の姿、神の声としての認識を得られないという強烈なジレンマのなかで「神」の存在を考えなければいけない。 具体的には、人類の歴史において、神の姿や声を想像させるものとしては「言霊」が連想できる。しかし人間の存在だけで神の存在をイメージするのでなく、自分を宇宙全体のなかの1個体と見て、自分以外のものを神とみなす精神は有効だと思う。だが自分以外の存在全体のうち、神はどの部分またはどの範囲なのか?どのような形または事象なのか? 見つけようとしても見出せずに、ほとんどの人は現実の生活にかまけて、そういう思考をやめてしまい終生を過ごす。 私たちは、確かに定型化された神の姿や声に接した経験のある者は皆無であるものの、それを予兆させる現象に近づいたり触れることは可能なはず。だから、神の存在について考えることは決して無益ではない。ただし神の存在に自覚して近づくことは並大抵ではない。したがって「神」の方から自分の心に近寄ってくるのを、自分自身を磨きに磨いて曇りが生じないようにしながら待つしかない。 私は「熊」を読み、この物語の核は、少年と「神」との邂逅にあると読んだ。 言っておくが、決して熊を神だと言ってるのではない。また、背景となる大森林も神ではないし、少年の狩猟の師となる黒人サムや少年自身も神ではない。 では何が「神」なのか? ここで話が少しそれるが、私たち現代人の生活は、本当に余りにも雑音が多い。 別にネット環境やSNS依存を持ち出すまでもなく、神の存在を平常心で考えようとするには、ノイズが多すぎて全く目も耳も感性全体が効かなくなってしまっている。 私はこの物語では、主人公である少年の視点から、大森林を背景として人の営み、熊の営み、猟犬やその他の生き物の営み、それらがすべて相関して抽象化された大きな一体の“生命”が、すなわち神として想像されるまでの過程を描いたものと考える。 すなわち、自分自身の精神を研ぎ澄ますことで雑音を排し、人を介することなく神の存在を知覚することの可能性にフォークナーが果敢に挑戦したものだと理解した。 さらに、この小説集を単なる神礼賛、自然礼賛といったものから一線を画しているのは、ひとえに少年の機微に深く入るかのようなフォークナーの精緻な描写につきる。 森に生息する熊や動物やそれを取り巻く全体の“空気”に対する少年の畏敬、恐れ。また、未熟な10代前半の白人少年から見た、狩猟や人生の先達として、そして黒人としてのサムの存在感や距離感の変化などの描写が、反復と増幅により静謐ながらも徐々に高まるかのように読者に迫ってくる。 読書感受性の鈍い読者は「同じようなことばかり書いてない?」とかピンボケな感想しか得られないだろうが、読書感受性の高い読者には、その繰り返しのような描写が、少年が絶対的に超越した存在の“何か”、すなわち神に近い存在を感じた(と思われる)過程の描写として、森の中で歩みを進めるがごとく胸に寄せてくるのを感じ取り、深い読後感を得られるにちがいない。
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