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月の森に、カミよ眠れ 偕成社文庫3243

上橋菜穂子(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 偕成社/
発売年月日 2000/10/01
JAN 9784036524303

月の森に、カミよ眠れ

¥440

商品レビュー

3.9

65件のお客様レビュー

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2023/10/19

恋のなんたるかも分からない少女、キシメ。自分に課せられた巫女としての役目を全うしようとしつつ、右に左にと揺れ惑うカミへの想いを持てあます。自分の気持ちに素直になればムラは滅び、人間社会を選べばカミはいなくなる。 いつまでも決めきれず、後ろ向きなキシメ。物語としては「思いきって!」...

恋のなんたるかも分からない少女、キシメ。自分に課せられた巫女としての役目を全うしようとしつつ、右に左にと揺れ惑うカミへの想いを持てあます。自分の気持ちに素直になればムラは滅び、人間社会を選べばカミはいなくなる。 いつまでも決めきれず、後ろ向きなキシメ。物語としては「思いきって!」と言いたくなるが、しかし本人の語りというていでカミことタヤタとの出会いや交流をみてくると、惹かれるのも、おそろしいのも、ごく自然なことだと感じる。 現代でも人は山や森に憧れたり神聖視し、同時におそれてもいる。人の都合で動かぬもの、どうすればよいのか問うことは出来ないものだからだ。木を何本切ったら山は崩れるのか、何ヘクタール開墾すると森は枯れるのか。そんなことが分かれば助かるだろう。それを掟という形で伝えてくれるのがタヤタであり、その声を聞くことが出来るのがカミンマ(巫女)のキシメ。 幼なじみでありながら、人と自然を繋ぐ"絆"でもあるふたり。ものの見方を共有できない、わかり合うことは出来ないふたりの対話は悲しいものにみえる。この物語のような遠い昔、わかり合えないことに絶望して袂を分かち、互いの声を聞けなくなってしまったから、現代のこの状況がある――のかもしれない。 「しだいにまわりをけずり、人にとっては、考える気にもならぬほど長い時ののちに、その水におのが身をけずられて、崖はくずれさる」 いつかどこかで木を切りすぎてしまった時、それ以上はいけないよ、と伝えてくれる存在はとうにいなかったのだ。 何を選ぶか、何を捨てるか?選択の先は、選んだ後にしか分からない。 ひとか、カミか。仲間か、恋しい人か。そんな究極の選択はそうないかもしれないが、何かを選ぶ時には自分の心の奥底を見つめ、捨てようとしているものと対峙することになる。その真剣さが、ファンタジー的であり、根源的でもあるなと思った。

Posted by ブクログ

2023/05/28

誰の話をしているのか途中読みづらかったけど、人が自然からはなれていく変遷、そこで起こる葛藤が分かりやすく描かれていて、ファンタジー小説とされているけれど歴史の話、現実世界に通じるところがあって考えさせられた。

Posted by ブクログ

2023/01/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

たつみや章の『月神の統べる森で』と混乱しちゃう。 でも、縄文が舞台の『月神の~』とは違い、こちらは律令の世の中。 それでも人はまだ神のそばで生きていた。 九州の山間の小さな集落。 男たちは狩りをして、女たちは稗や粟を作ったりどんぐりの粉で団子を作ったり。 欲しいものは山が与えてくれる。 神さまの場所さえ侵さなければ。 しかし、時代は変わってしまった。 男たちは朝貢(えだち)のため都で6年間暮らさなければならず、男手の足りない村は狩りをすることもままならず、どんなに工夫をしてもひもじさをこらえることはできなかった。 そしてようやく帰ってきた男たちは、遅れた生活(全身の刺青、狩猟生活等)から抜け出すために、田んぼを作るという。 神の力の源である沼のすぐわきに。 神と人の間に生まれ、鬼とさげすんできた都人を見返そうと神殺しをするためにやって来たナガタチ。 同じく神と人の間に生まれ、神の思いを体現するタヤタ。 神と人との間で絆となるカミンマとなる予定の少女キシメは、タヤタを愛しながらも人として村を見捨てることもできないでいる。 神が守るのは山であり、人ではないのだから。 登場人物たちのほとんどが、自分のためではなく、みんなのためにどうしたらいいのかを考えている。 立場によって、そだちによって、あるべき未来が違うため、どうしても意見を統一することはできない。 神を殺すべきなのか、徐々に滅びていくべきなのか。 結果を私たちは知っている。 結局人は、神を殺したのだ。 山全体の命ではなく、人間だけが生き抜いていけるように自然を変えた。 ”〈掟〉をいちどやぶることは、崖からちょろちょろとふきだした、わき水のようなものだ。しだいにまわりをけずり、ひとにとっては、考える気にもならぬほど長い時ののちに、その水におのが身をけずられて、崖はくずれさる。” 40年が過ぎ、少しずつ森が切り開かれ、掘り返されて、稲田が広がっていく。 倉には沢山の米。 しかし人々は飢えている。 だってその米は〈租〉だから。 朝廷に納めなければならないものだから。 苦しさは変わらない。 朝貢がなくなっただけ。 直接話には出てこないけれど、朝廷の信じる神は、太陽の神で、女性神。 朝廷に従うことになった民の土着の神は月の神で、男性神。 そういう対立もきっとあったんだろうなあ、と思う。 世界的には男性が太陽神の場合が多いけど、日本はアマテラスという女性神で、月は男性のツクヨミなのは、何か意味があるのだろうかと以前より思っていたけれど、命をはぐくむ女性が〈絆〉として神と人を繋ぐ存在になるために、神は男性なのかもしれない。

Posted by ブクログ

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