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約束された場所で(2) underground
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
| 発売年月日 | 1998/11/26 |
| JAN | 9784163546001 |
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約束された場所で(2)
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商品レビュー
4.1
48件のお客様レビュー
人間の多面性や宗教の本質について深く考えさせられる作品です。地下鉄サリン事件を題材に、著者はオウム真理教の信者へのインタビューを通じて、何が「悪」であるのかを問い直します。感情や理想が交錯する中で、事件の背後にある人々の心の葛藤や思考を浮き彫りにし、単純な善悪の枠を超えた理解を促します。後半には河合先生との対談もあり、物語が人を動かす力や真実の捉え方についての議論が展開され、読者に新たな視点を提供します。村上春樹の独特な視点が光るこの作品は、不可思議な人間の心や日本人の根源に迫る探求の旅となっています。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
『アンダーグラウンド』と併せて読みたい。
何が、彼らを凶行に駆り立てたのか。地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」信者へのインタビューを通じ、あの事件の背景に迫る。河合隼雄氏と著者の対談も読みどころ。前作『アンダーグラウンド』と併せて読みたい。
abtm
勉強になった。 生前の事件で、あまり知識もなかったため、アンダーグラウンドも読むべきだと感じた。 村上の立場が良かった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
村上春樹『約束された場所で underground 2』を読んで、いちばん強く残ったのは、「自分もオウムに入信していた可能性は十分にある」という感覚だった。 メディアで語られるオウム真理教は、どうしても「異常な集団」「理解不能な人たち」として描かれがちだ。もちろん、地下鉄サリン事件をはじめとする一連の事件は決して許されるものではない。けれど、本書に出てくる元信者たちの言葉を読んでいると、彼らが最初から特別に異常だったわけではないことが見えてくる。むしろ、体の不調や生きづらさ、社会への馴染めなさ、居場所のなさを抱えた、ごく普通の人たちでもあったのだと思う。 自分自身、かつて鍼灸の学校に通っていたことがある。それは、体の不調が鍼灸によって良くなった経験があったからだった。本書の中にも、体調不良を抱えていた人が、オウムの修行や実践によって体調が良くなったと感じ、そこから信じていった人たちが出てくる。それを読んだとき、自分と彼らのあいだに、決定的な違いがあるとは思えなかった。 もちろん、その回復とオウムの教義や修行との因果関係が本当にあったのかはわからない。けれど、人間は目の前で起きた出来事に因果を見出したくなる生き物だと思う。自分の苦しみが少しでも軽くなったとき、「これは本物かもしれない」と思ってしまう。その感覚は、たぶん誰にでもある。そう考えると、入信するかしないかは、その人の本質というよりも、何に、どのタイミングで、どんな状態で出会ってしまったかの問題でもあるのだと思った。 また、本書の中で「中にいる人たちは純粋で、いい人だった」という語りが印象に残った。社会にうまく馴染めなかった人たちが、教団の中で一体感や居場所を得ていく。そのこと自体は、すごく切実なものだったのだと思う。一方で、その純粋さや居場所への欲求が、「自己をなくす」ような教義や、巨大な物語に回収されていく怖さも感じた。 特に、出家してしまったことで後戻りできなくなり、途中で違和感を覚えても、それを無視して中に居続けてしまうという話が重かった。人は、自分がすでに差し出してしまった時間や人生が大きければ大きいほど、「間違っていた」と認めることが難しくなる。違和感よりも、ここまで来た自分を正当化するほうを選んでしまう。その弱さもまた、決して他人事ではないと思った。 そして、村上春樹が指摘するように、オウム真理教の後継団体がサリン事件をきちんと総括していないという問題も、強く印象に残った。事件を「一部の首謀者が起こした特殊なこと」として切り離してしまえば、自分たちの中にあったものを見つめなくて済んでしまう。しかし本当に必要なのは、自分たちの信仰や共同体の中にも、あの暴力性を生み出す要素があったのだと認めることなのではないかと思う。 それは、ある意味で弔いに近い行為なのかもしれない。亡くなった人たちや傷ついた人たちに対して、事件をなかったことにしないこと。そして同時に、自分たちの中にも、首謀者たちと地続きの暴力性や、巨大な物語に飲み込まれていく危うさがあると引き受けること。 この本は、オウム真理教を「理解不能な異常者たちの集団」として遠ざけるのではなく、自分自身の中にもある弱さ、信じたさ、居場所を求める気持ち、因果を見出したい欲望を突きつけてくる本だった。 だからこそ怖かった。 そして、その怖さを他人事にしないことが、この本を読む意味なのだと思った。
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