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「児童文学」をつくった人たち(8) 壷井栄 人と作品-「二十四の瞳」をつくった壷井栄 ヒューマンブックス「児童文学」をつくった人たち8
定価 ¥3,850
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ゆまに書房/ |
発売年月日 | 1998/06/25 |
JAN | 9784897142739 |
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「児童文学」をつくった人たち(8)
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『二十四の瞳』を読んでみたら、それまで教科書の文学史でやったくらいの知識しかなかった壺井栄が、思いのほかおもしろくて、他の作品とともに、この評伝も借りてみた。 名前と主な作品名くらいは知っていたもののやはり読んだことのなかった吉屋信子を初めて読んだときみたいな、あるいは、平林...
『二十四の瞳』を読んでみたら、それまで教科書の文学史でやったくらいの知識しかなかった壺井栄が、思いのほかおもしろくて、他の作品とともに、この評伝も借りてみた。 名前と主な作品名くらいは知っていたもののやはり読んだことのなかった吉屋信子を初めて読んだときみたいな、あるいは、平林たい子の評伝を読んだときのような感じだった。 血のつながらない子を育てた『雑居家族』は栄の経験に重なっていて、それは、栄の生家でも「その家に生まれた者でない孤児を引き取って育て」(p.6)ていたのだという。子どもだけでも10人、家業の職人や孤児などあわせて20人近い人がひとつ家に暮らす大家族に栄はうまれ、祖母に育てられた。 風土の伝承、口から口への昔語りや子守歌など、「祖母の膝下で育てられたことが、その後の栄の生き方に、大きく影響を及ぼしている」(p.7)というのを読むと、祖父に抱かれて寝、昔話を聞いたという宮本常一のことを思い出したりする。 小豆島の名産であった醤油産業が思わしくなくなり、親の事業がかたむいて、栄も小学校時代から子守りっ子として、働きながら学校へ通った。子守りの苦労、小学校を終えるときの修学旅行に費用を工面できずに行けなかったことなどは、『二十四の瞳』をはじめとする栄の作品に書きこまれている。 作品のなかでも、栄の分身とおぼしき登場人物がいろいろ出てくるが、その人物造型にあらわれているように、やはり栄本人は「お人よし」で「他人の面倒をみることをいとわなかった」(p.38)ものらしい。 夫の壺井繁治はアナーキズム(無政府主義)の立場をとっていて、小野十三郎、麻生義、江森盛弥たちと1927(昭和2)年に「文芸解放」をつくる。 ▼ところが栄は、いきおいアナーキストたちの男性を目のあたりに見る機会が多くなるにつれて、心中疑問を抱くようになった。 夜ごと、資本家に搾取される世の中を否定して、論争をくりかえしながら、自分ではなにもしない、働くことを忘れて他人の財布をあてにして暮らしている。小豆島の人たちの暮らしを思い合わせれば、とても納得できるものではない。おまけに親しくしている林芙美子や平林たい子は、それぞれアナーキストの夫をもち、引きずりまわされている。夫たちのふしだらな生活に加えて、不当な横暴ぶりが、女性蔑視の思想につながっているとみた栄は、次第にアナーキズムに対して同調できなくなっていった。繁治もまた、その批判的見解を「文芸解放」に寄せたため、大きな波紋をまき起こした。(pp.41-42) なんだかこういうところは、時代を問わないというか、今も似たようなことがあるよなーと思う。 夫の繁治はアナーキズム運動の裏切者として、半殺しの目にあう。「文芸解放」は廃刊、アナーキストたちと決別して、繁治は自然にマルクス主義に接近していった、という。そして、3.15事件のつぎ、4.16事件の際に繁治は「共産党員の疑い」で検挙され、刑務所に拘留された。その後も、釈放され、また拘留されたりが続く。 栄の処女作はもっと前にあったというが、文壇的にデビューしたのは「大根の葉」。できていた作品が発表されるまでに曲折があって、「文芸」9月号に掲載されたのは1938(昭和13)年で、栄は38歳だった。好評で迎えられ、原稿注文がつぎつぎ舞いこんで、栄は作家として立つことになる。 だが、昭和10年代も後半になり、戦争がひどいことになってくると、戦意昂揚を書くでもなく、執筆姿勢を一貫して変えなかった栄の執筆の場は狭まり、生活のやりくりも大変だったという。 ▼…壺井栄ののこしてくれた戦争末期の童話には、さすがに戦争の影響がしみている。 作家にとって、執筆活動を止めることは死に等しい。許されたぎりぎりの線で表面的にも妥協し、栄は「銃後」にいる庶民・子どもの姿を童話に託した。身辺からほとんどの男たちが戦場へかりたてられている現実の中で、いっそう思いは小豆島を行きつ戻りつするばかり。…(pp.64-65) 栄は、戦後かなりはやくに(戦後最初に出た「少女倶楽部」の昭和20年8・9月合併号に)発表した「石臼の歌」で、広島の原爆で両親を失った少女を登場させているのだという。これは、こんど読んでみたい。(『石うすの歌』という本があるらしい) (1/17了)
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