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日本への遺言 福田恒存語録 文春文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
発売年月日 | 1998/04/10 |
JAN | 9784167258054 |
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日本への遺言
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福田恆存という恐ろしく理性的な哲人は、言葉に対して峻厳な姿勢を保ちつづけ、所謂「旧仮名遣い」を崩す事を死後も赦さず、未だに「旧仮名遣い」で著書が出版されている稀有な著作者でもある(一部の著作は現代仮名遣いで出版されている)。 --- ・・・だが、私はさうは考へない。現代の複雑な...
福田恆存という恐ろしく理性的な哲人は、言葉に対して峻厳な姿勢を保ちつづけ、所謂「旧仮名遣い」を崩す事を死後も赦さず、未だに「旧仮名遣い」で著書が出版されている稀有な著作者でもある(一部の著作は現代仮名遣いで出版されている)。 --- ・・・だが、私はさうは考へない。現代の複雑な社会機構において、話合ひによる解決の機会は減少する一方である。嘗て家庭は話合ひによる解決が最も期待出来た場所であり、話合ひによる解決に頼って成立してゐた最小集団であつた。が、戦後の新民法はさういふ話合ひによる暫定的解決を、言換へれば最終的解決を回避する為の馴合ひを禁じ排する為に採用されたものではなかつたか。そしてそれが民主主義といふものなのではないか。民主主義とはさういふ乾いた冷たい政治思想なのであつて、話合ひの成立する温情主義的世界と対立するものではないのか。 「日本への遺言」より --- 民主主義は、かつて隆盛を極めた「君主制」に対置される政治思想であり、基本的な原理としては『多数決』による政治であり、強いて言うならば「他の政治思想よりもマシな」それであって、至高の思想ではありえない。 話合いによる解決には「前提」が必要だ。民主主義における『多数決』は、政治上の意思決定のことであって、これに参加するには、相応の「理性」のようなものが必要となる。それが無いままに無闇に多数決に頼ることで、「衆愚政治」といわれる政治状況に陥ることになる。 英国の作家バーナード・ショーは「デモクラシーというものは、腐敗した少数の権力者を任命する代わりに、無能な多数者が選挙によって無能な人を選出することである」と、彼らしい皮肉を込めて言っている。 然しながら、別稿でも述べたのだが、日本は「自ら民主主義を勝ち取った」ことが無く、武家政治の瓦解(明治維新)による立憲制と民選議員による議会政治の獲得、そしてその後生じた軍部の専横の専制的政治体制の瓦解(第二次世界大戦の敗戦)と民主主義への移行は、全て日本の民衆の革命によってではなく、外圧(黒船来航、そして連合国に対する敗戦)に伴い、一部のエリートや政治中枢の意思決定によって為されたものだ。 『日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている (司馬遼太郎「この国のかたち」第一回の書き出しより)』 司馬遼太郎がこのように言ったのも、そういう歴史を言い表したものだ。 『…ともかくも日本の場合、たとえばヨーロッパや中近東、インド、あるいは中国のように、ひとびとのすべてが思想化されてしまったというような歴史をついにもたなかった。これは幸運といえるのではあるまいか。 そのくせ、思想へのあこがれがある。 (司馬遼太郎「この国のかたち」第一回より)』 特に(第二次世界大戦の)戦後、思想についての論壇が活発になったのも、上の引用にある「あこがれ」があったからではないだろうか・・・。 閑話休題 日本において、いかに民主主義が「そとからくる」ものであったとしても、その本質である「民主主義の主体」たる「国民」の質は、やはり問われるべきであり、”日本だから”という理由で閑却出来るものではない。 無闇に民主主義や民主的手続きを求める前に、為すべき事が我々には多々あるのではないだろうか。 そう、自らがそれを求めるに相応しい存在であるか?ということを問わねばならない。無闇の「求める」だけの人に、民主主義は概ね冷たい対応しかしないものだ。 『政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことが出来ない。 (トーマス・マン「魔の山」より)』
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