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エロスの世界像 講談社学術文庫
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エロスの世界像 講談社学術文庫

竹田青嗣(著者)

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エロスの世界像 講談社学術文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 1997/03/10
JAN 9784061592728

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2017/07/02

2017.5.24  著者の哲学的立場であるエロス論、欲望論に関する、やや軽めのエッセイをまとめたような作品である。哲学における認識の問題は意思や理性などの側面からのみ述べられてきた、それは西洋の理性主義に基づくものである。しかし人間は理性的に何かを考える以前にすでに感情や欲望が...

2017.5.24  著者の哲学的立場であるエロス論、欲望論に関する、やや軽めのエッセイをまとめたような作品である。哲学における認識の問題は意思や理性などの側面からのみ述べられてきた、それは西洋の理性主義に基づくものである。しかし人間は理性的に何かを考える以前にすでに感情や欲望が働いている、何が正しいか、何が美しいかは、理性や思考より先に、欲望的に、エロス的に、了解されているものであり、その上では欲望やエロスの方が、より根本的である。  そのような根本=欲望に立ち返って考えるのが著者の立場のように思える。これは哲学的にはニーチェやハイデガー、バタイユ、もしくはコジェーヴの解釈したヘーゲルなどに由来するもののように思える。  難しいところが、人間は何を欲するのか、という「欲望の形」について考える、ということではないということである、と私は捉える。デカルトは「我思うゆえに我あり」というテーゼによって、意識を何かしら実体的なものとみなした。しかしフッサールはこのデカルトの方法的懐疑を引き継ぎ、方法的観念論を行う。そこでは最も根本にあるものは、一切の認識が、存在が構成される意識の場、つまり超越論的意識である。場、というと実体的なもののように思えるがそうではなく、例えば目の前にあるこのタバコ、これをタバコと判断するような認識が構成されていく様そのもの、のようなものである。一切の認識を意識によって構成されたものとするならば、その認識を構成する作用、構成するということそのもの、のようなものであろうか。つまり、構成された意識と、構成する作用としての意識があるのである。  そう考えるなら欲望論の立場は明白で、欲望の形を問題にするということは、構成された欲望の問題であるが、しかし欲望論は構成する作用としての欲望やエロスを問題にするのである。私は何を欲するか、というより、欲するとはどういうことかを問題にするのである。なぜなや欲する、もしくはそこまで意識化されていないなにがしかの欲望論的、身体的原理が、ものを認識する時に働いているからである。我々は何もかも、言葉にできる形で、説明できる論理で判断しているのではない。もしくは、何がしかの感覚が心を襲い、それに対しての合理的な説明を後から、後付けとして行なっているという方が正しいのかもしれない。

Posted by ブクログ

2017/03/10

著者の実存論的な立場から、世界がどのように意味づけられ秩序づけられているのかということを、具体的に解き明かした本です。 著者は、近代哲学の主流が「認識論的ディスクール」に基づいて組み立てられていたのに対して、ソクラテスとプラトン、あるいはニーチェとバタイユといった思想家たちは、...

著者の実存論的な立場から、世界がどのように意味づけられ秩序づけられているのかということを、具体的に解き明かした本です。 著者は、近代哲学の主流が「認識論的ディスクール」に基づいて組み立てられていたのに対して、ソクラテスとプラトン、あるいはニーチェとバタイユといった思想家たちは、「エロス論的ディスクール」のほうがより根源的だという立場に立っていたと主張します。 われわれは世界をさまざまな仕方で分析し記述しています。しかし、そのように分類し記述することができるのは、人間がある仕方で世界を分節しているからにほかなりません。この分節を可能にしているのが「エロス原理」だと著者はいいます。動物の「感じる」「ありうる」は本能によって一義的に定められているのに対して、人間は観念的なエロスを世界から汲みとるとともに、エロス原理によって秩序づけられたこの世界を言葉によって対象化し、自分自身を客観的世界のひとつの対象として位置づけることができます。さらには、言葉を通じて編みあげるロマン的な世界を、ふたたび身体的な快苦として「感受化」することができます。つまり、エロス的な秩序を世界に投げかけている人間の身体は、言葉を通じてその秩序を編みなおしていくような性格をもっていると著者は考えます。 こうした性格をもつ人間の身体を著者は「幻想的身体」と呼ぶとともに、自我、ロマンティシズム、恋愛、エロティシズム、時間といったものの本質的な意味を「幻想的身体」という実存のありように基づいて明らかにしています。

Posted by ブクログ

2009/11/17

世界をエロス的に経験された秩序と捉える〈エロス的世界像〉の観点はそこにこそ、実存としての人間存在が生と世界を了解するための原理を見出すことができる

Posted by ブクログ

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