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失われた時を求めて(2) 第一篇 スワン家の方へ2
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失われた時を求めて(2) 第一篇 スワン家の方へ2

マルセル・プルースト(著者), 鈴木道彦(訳者)

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失われた時を求めて(2) 第一篇 スワン家の方へ2

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 1997/01/23
JAN 9784081440023

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失われた時を求めて(2)

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2018/12/09

不労所得者が娼婦に恋した話。 これ、一人称で書く必要があったのか? 語り手である「私」が、他者であるはずのスワンの夢まで語りだしたときは、違和感を通り越して不快であった。 どう考えても、三人称で書いた方がいい。 あいかわらず、おもしろくない。 スワンが娼婦に自分へ...

不労所得者が娼婦に恋した話。 これ、一人称で書く必要があったのか? 語り手である「私」が、他者であるはずのスワンの夢まで語りだしたときは、違和感を通り越して不快であった。 どう考えても、三人称で書いた方がいい。 あいかわらず、おもしろくない。 スワンが娼婦に自分への純潔を求めるのは間違っている。 かといって、スワンがいながら他の人間との関係をやめないオデットにも共感できない。 というわけで、誰にも感情移入できない。 これ、ほんとうに、20世紀を代表する小説なのか・・・・?

Posted by ブクログ

2013/03/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

とにかく長大な作品であるため、意を決して読む気にならないと、なかなか読み終えることができないだろうというおそれが先に立って、今まで読む決心が着かなかったのだが、いざ取りかかってみると、『失われた時を求めて』は、けっこう読みやすい小説であることに気がついた。 話者は、新興ブルジョワの嫡男として大事に育てられたためか、繊細な神経と病弱な体を持った芸術家志望の青年として設定されている。話者が生まれる前の話として書かれる「スワンの恋」を除いて、『失われた時を求めて』全編が「私」の回想視点で書かれている。少年期を描いた第一部「コンブレー」では、一つの回想が次々と別の回想を呼び起こすため、話者がいつの時代を回想しているのかが分かりづらい部分もあるが、後に登場してくる幾人もの重要な人物が、さり気なく顔を見せ、歌劇の序曲のような役割を受け持っている。 開巻冒頭の「長い間、私は夜早く床に就くのだった。」で始まる、いくつもの土地での眠れぬ夜の回想が、幼い頃、コンブレーで母親のお休みのキスを待ちわびながら、隣人スワンの訪問によって邪魔される思い出を引き寄せ、全編を通じて重要な役割を果たすスワンとその妻オデット、そして娘のジルベルトが紹介される。また、有名な紅茶に浸したプチット・マドレーヌの香りが呼び覚ますレオニ叔母や家政婦のフランソワーズ、それに祖母や父の肖像が綴られる。過去を思い出そうとするとき誰もが頼る記憶ではなく、香りのような感覚的刺激がきっかけとなって思いもかけず開示される「無意識的記憶」こそが「失われたとき」を甦らせるというのがこの長大な作品を貫く作者の主張である。 パリから遠く離れたコンブレーでは、隣人として私の叔母の家を訪れる数少ない客であったスワンだが、絵画に造詣が深く、洗練された彼はブルジョワでありながら一流貴族のサロンで人気者であった。が、高級娼婦オデットを妻に迎えることで、より格の下がったサロンしか出入りできなくなってしまう。社交界に生きる人の位置の微妙さを体現する人物がスワンである。『失われた時を求めて』は恋愛小説である。オデットに対する若きスワンの恋の顛末を描いた第二部「スワンの恋」は、「私」が後に恋することになるアルベルチーヌとの恋と相似形を描くことになる。 『失われた時を求めて』は、社交界を抜きにしては語れない。一流貴族の、またそれよりは格が落ちる貴族が主催するサロン、さらには新興階級であるブルジョワが正装抜きで集う、肩肘を張らないサロンを舞台に、それらの間にある格差が生む蔑視や嫉妬、また複数のサロンを往き来する人々の会話から透けて見える思惑などを主たる叙述の対照としている。作者の辛辣な人間観察が光る、読み物としての面白さを添えるのが社交界小説としての一面である。 『失われた時を求めて』は、芸術家小説でもある。スワンが来ると早く床に就かされる私は、スワンに関していい印象を持てなかったが、尊敬する作家ベルゴットの知人であることが分かるとその印象は逆転する。ベルゴットこそ、私が憧れている人物だからである。ベルゴットや彼を認めない父の友人ノルポワ氏、それに話者の語る文学論や芸術論がなければ、『失われた時を求めて』の魅力は半減するだろう。 「スワン家の方」というのは、コンブレーでの家族の散歩コースの名である。今ひとつが、その反対方向にあたる「ゲルマントの方」で、これは、第三編の標題となっている。スワンがユダヤ人やブルジョワを象徴するとすれば、ゲルマントは、由緒正しい上流貴族を象徴している。やがて「私」がその中に入っていく社交界の両極を意味する二つの名だが、第一編では少年期の「私」がその美しく心慰む風景を愛で、文章化したいと思う対象として存在している。ジルベルトと出会うサンザシの咲く垣根や、モネの「睡蓮」連作を思い出させる河岸の描写は比喩が比喩を呼ぶ独特の技法でプルーストの面目躍如といった観がある。 少年期の回想を中心に据えた第一編「スワン家の方へ」は、瑞々しい抒情性を湛えた自然描写、家族や客はもとより使用人にまで至る多くの人物の造型とその心理分析、さらには教会建築や絵画に対する美術批評と、多面的な魅力を見せる。大長編小説の第一編として、次の展開を期待させるに充分な仕上がりとなっている。(「スワン家の方へ」1を含む)

Posted by ブクログ