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シオラン あるいは最後の人間 叢書・ウニベルシタス593
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 法政大学出版局/ |
| 発売年月日 | 1997/12/15 |
| JAN | 9784588005930 |
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シオラン
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商品レビュー
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1件のお客様レビュー
本書では、シオランの著書からの引用が網羅され、熱気を帯びた緻密な論が展開されている。私の頭のレベルでは、とても本書を読み通すことが難しいが、いつの日か読むために大切に保管しておきたいと思う。シオランは『生誕の災厄』『苦渋の三段論法』『時間への失墜』の三冊に愛着があると言っています...
本書では、シオランの著書からの引用が網羅され、熱気を帯びた緻密な論が展開されている。私の頭のレベルでは、とても本書を読み通すことが難しいが、いつの日か読むために大切に保管しておきたいと思う。シオランは『生誕の災厄』『苦渋の三段論法』『時間への失墜』の三冊に愛着があると言っています。 【参考】 ●本書の著者シルヴィー・ジョドーのプロフィール <1951年生まれのフランスの女流文筆家。20代後半から30代のはじめにかけて、おもに雑誌『オラクル』に拠って文学活動を行なってきたが、やがて関心を文学から、神秘思想を含む広義の宗教、とくに仏教に移す。30代の半ばにシオランと出会い、「精神の歩みの上で一段階」を画する決定的な影響を受ける。現在の主要な関心の対象はトランスパーソナル心理学であるという。本書(1990)と同時に、シオランとの対談を収めた小冊子『対談』が刊行されている。> ●本書の帯に書いてあること <歴史と永遠からの形而上的亡命者として既存の思想・神学体系と対決しつづけた異色の表現者――シオランの作品における神秘主義、仏教、歴史、音楽、言語等の主要テーマの中核に《グノーシス》の思想を探り当て、その基本的見取図を示す。> ●(上記の著者のプロフィールにある)小冊子『対談』の最後の部分から <――特に愛着をおもちの本はありますか。 ――もちろん、『生誕の災厄』です。この本のどの言葉も、私とは切っても切れないものです。この本はどの頁からでも読める。ただし、全部は読む必要はない。 私はまた、『苦渋の三段論法』にも愛着をもっています。理由は単純で、みんながこの本をくさしたから。この本を書いて、私は評判を落としたといわれました。この本が出たとき、正しい判断をしたのはジャック・ロスタンだけでしたね。「この本は理解されないだろう」といっていましたから。 でも、私がことのほか愛着をもっているのは、『時間への失墜』の最後の7頁です。これは私が書いたもっとも真剣なものです。7頁を書くのにえらく苦労しましたが、概して理解されませんでした。この本は、私からすればもっとも個人的なもので、私にとって最大の関心事を書いたものなのに、さっぱり話題にされなかった。実際、時間からの失墜にまさる重大な劇があるあるでしようか。残念ながら、この私の思想の本質的側面に気づいた読者はいなかった。 以上の三冊の本で、たぶん充分だったでしよう。ためらわず繰り返しますが、私は書き過ぎました。 ――それがあなたの最後の言葉ですか。 ――そうです。 > ●「訳者あとがき」から(帯の文の基である) <シオランを論じる際の基本的見取図ということでは、本書には、シオランについて考え、論じようとする者なら、だれでも避けて通るわけにはいかないテーマがほぼすべて提出されているといえる。神秘主義(思想)、仏教、歴史(時間)、音楽、言語など、本書に取り上げられているこれらのテーマは、個別のテーマであると同時に、シオランの思想の深いところでは、いわばアマルガムと化しており、個別のテーマの収斂するところに、このアマルガムの核があるかのようである。ジョドーの筆が、この核に届いているかどうか、そのへんのところは読者の判断にお任せするしかないが、訳者の私見をいわせてもらえば、どうやらジョドーは、この核にグノーシス(主義)を想定しているようだ。つまり、個別のテーマであると同時に、あらゆるテーマの収斂する場としてのグノーシス。ジョドーが、早くからシオランとの関連が指摘されていたグノーシスを(たとえば、ジャック・ラカリエール『グノーシス派』74年)、本書の龍論の基礎にすえ、真正面から論じているのも、こうしてみると少しも不思議ではないはずである。 しかしまあ、こんなことあげは実はどうでもいいことなのかも知れない。実際、本書を訳しながら訳者が絶えず感じていたのは、文章から、そして行間から立ち昇ってくる一種の熱気だった。その熱気にあおられて、晦渋な文章をどうやら乗り切ったというのがいつわらざる実感だ。と同時に、ああ、久し振りに《作家論》を読んだな、という思いがひとしおだった。この思いは、間違いなく著者の熱気に促されてのものだが、その熱気はといえば、自分の「精神の歩みに一段階」を画するほどの影響を与えたシオランとの、文字どおりの格闘に発するものであること、これもまた間違いのないことだろう。本書を書き上げたとき、著者は新しい出発点に立っていたに違いない。だからこそ、シオランの影響はもう過去のものになった、と私信に書くこともできたのだろう。> 以上
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