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人質 ペルー日本大使公邸の126日
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | クレスト社/ |
発売年月日 | 1997/09/27 |
JAN | 9784877120597 |
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人質
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(2004.12.15読了)(2003.05.05購入) 副題「ペルー日本大使公邸の126日」 在ペルー日本大使公邸占拠事件は、1996年12月17日に発生し、1997年4月22日にペルー軍特殊部隊が強行突入し解決した。その間およそ4ヶ月。 この本は、日本大使公邸の主で、人質と...
(2004.12.15読了)(2003.05.05購入) 副題「ペルー日本大使公邸の126日」 在ペルー日本大使公邸占拠事件は、1996年12月17日に発生し、1997年4月22日にペルー軍特殊部隊が強行突入し解決した。その間およそ4ヶ月。 この本は、日本大使公邸の主で、人質として過ごした青木さんに、岡崎さんがインタビューするという形でまとめられている。 ●ナショナル・デー(国祭日)のレセプション 1996年12月17日には、午後7時から9時までの予定で、大使館が主催する天皇誕生日祝賀レセプションが行われており、8時半にテロリストたちが突入してきたということです。 大使館の最大の仕事は、その大使館が置かれている国と友好親善関係を増進することで、その目的のためにいろいろな活動をする。その中で、最も重要な活動の一つが天皇誕生日という国祭日のレセプションなのです。ほとんどの国が、元首の誕生日、独立記念日、革命記念日といった特定の祝日を国祭日に指定しています。日本の場合には、明治以来の伝統として、天皇誕生日を国祭日として、世界各地の在外公館でレセプションをしています。 (そんなことがあるなんて知らなかったです。) ●事件 テロリストが突入してきた時、公邸には730人の招待客がいました。最初700名ぐらいが人質になってしまったが、女性・老人・使用人が解放されて、400人ぐらい残りました。11時ぐらいでした。少しずつ人質は解放され、1月3日にテロリスト側は「もうこれ以上の部分開放はしない」と宣言した時は、74人残っており、日本人はそのうち24人でした。 ●警備 日本大使公邸に入ってくる道の交通規制を行い警官もいたのですが、テロリストは、公邸の入り口とは反対側に面する隣の建物に救急車を偽装したバンで乗り付け、警備員をだまし、塀を爆破して公邸に突入してきた。 (警備の裏をかかれたので、防ぎようがなかった。) ●公邸 公邸は、結構頑丈に作られていて、簡単には壊れない構造になっていた。従って人海戦術による武力突入は無理だった。青木大使の妻が大使公邸の設計図をフジモリ大統領に渡し、それにより当初の突入プランは中止になり、公邸と同じものを建設して、シミューレーション訓練を重ね、開放のための準備を進めた。 地下トンネルを掘って、床を爆破し突入するという思いがけない作戦を実施した。 公邸内の様子は、赤十字国際委員会の差し入れを利用し、盗聴器を仕掛け把握していた。 ●テロリスト トゥパク・アマル革命運動(MRTA)。4人の幹部と10人の兵隊で実施。 大使館の占拠については精緻な作戦計画を練って、完全成功を収めた。政府との交渉でどこで折り合いをつけるかについて、4人の幹部の意見が全く合わなかった。 ニュースで分かる面もあるけど、それだけでは、わからない面もあった。 著者 青木 盛久 1938年 栃木県生まれ 東京大学法学部卒業 外務省入省 1994年 在ペルー特命全権大使 1997年5月 ペルー駐在解任 (「MARC」データベースより)amazon 極限状況で、人間は何を考え、どう行動したか-。ペルー日本大使公邸が占拠された126日間を、当事者である青木元大使が、恩師の岡崎元駐タイ大使との対談で振り返り、危機管理に対する数々の教訓を示す。
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