トロピカル・ゴシップ 混血地帯の旅と思考
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トロピカル・ゴシップ 混血地帯の旅と思考

管啓次郎(著者)

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トロピカル・ゴシップ 混血地帯の旅と思考

定価 ¥2,860

990 定価より1,870円(65%)おトク

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社/
発売年月日 1998/01/20
JAN 9784791756056

トロピカル・ゴシップ

¥990

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2011/04/29

『1995年1月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たち』のなかで、「生きることは本当に大きな贈り物なので、生きられたひとつひとつの生からは、何千という人々が利益を得る」というのが引用されていた。 もう図書館で借りるのはむずかしそうな、15年以上前の雑誌「へるめす」に載った管啓次...

『1995年1月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たち』のなかで、「生きることは本当に大きな贈り物なので、生きられたひとつひとつの生からは、何千という人々が利益を得る」というのが引用されていた。 もう図書館で借りるのはむずかしそうな、15年以上前の雑誌「へるめす」に載った管啓次郎の「トロピカル・ゴシップ」という文章が参照されていて、私は漢字をまちがえてクサカンムリの「菅」で検索していたために、すぐにはこの本を見つけられずにいた。 表題作になっているとは思わなかったが、その「へるめす」に載った文章も入った本があるのをしばらくして見つけた。近所の図書館にはなくて、ヨソからの相貸で届く。 巻末の「トロピカル・ゴシップ」を最初に読んでみると、「生きることは本当に大きな贈り物なので、生きられたひとつひとつの生からは、何千という人々が利益を得る」は、管啓次郎自身のことばではなくて、トリン・ミンハが引用しているクラリシ・リスペクトールという人のことばらしかった。 「トリン・ミンハの多くの批評的エセーをつらぬくのは、引用という手法だ」(p.302)と管は書き、自身も引用を散りばめていく。そのトリンの引用が載ってるのは『月が赤く満ちる時』のようだというので、これも借りてきた(まだクラリシ・リスペクトールという人のことばは見つけていない)。 「トロピカル・ゴシップ」を読んだあと、しばらく積んでいたこの本をもういちど開いて、こんどは「舌はいつだって混成の途上にある」という、"三百六十五日のじゃがいも"から始まる文章を読んでみた。この文章を含む「感覚の列島 舌・肌・耳」の章におさめられた文章はどれも、おもしろかった。 それから、目次をみて、本をさかのぼって「湖の塩を食う人々のように」という文章を読み、あっちへいき、こっちへ飛びしながら、だんだん読んでいった。ときどき図書館で借りてきて、じわーっと読みたい本やなあと思った。 「レニ・レナピの書」そして「アボリジナルTV」の文章にあった、本というものについての話、映像記録についての話が、強い印象をのこす。 ▼たぶん本というモデルの信じがたい強力さの秘密は、それがすでに余白をもつことにあるのだろう。「世界」の内容に整列しないものは、余白の白に沈む。それならせめて、これだけは忘れないようにしよう。本文に比べて無限に広大なのは、つねに余白のほうなのだと。(p.71) アボリジナルには、死に対する強い禁忌があり、誰かが死ぬとその遺品と残された写真はすべて焼かれ、遺族は引っ越し、死者の名、あるいは似た響きをもつ単語すら口にされなくなるという。だから、ある人物が出てくるビデオも、同じ経過をたどる。 ▼その映像はただ一世代の記憶の中にのみ残り、口にされないことでかえって強く生きつづけ、不死の書字記録とは反対に、次の死者たちとともに永遠の忘却へと帰ってゆく。この態度は「現実を映像にして残す」といった考え方の対極だ。同時にそれは、写真からビデオにいたる定着された映像が、結局は書字記録の不死を模倣するかたちで、言葉とともに無限定な未来/遠方へと送りとどけられることを望んでいるのだと、われわれに思い出させる。(p.175) 記録されないものは「なかったこと」になりがちだという話がある。わかるなあと思う一方で、記録しようとするその動力になっているのは何なのだろうと自分で思う。アボリジナルの死の禁忌のように「口にされないことでかえって強く生きつづける」、そんな残り方、消え方もあるんやなあと思う。

Posted by ブクログ